長崎サッカーマガジン「ViSta」

【コラム】ミスター V・ファーレンと呼ばれた原田武男が去る日 ~I Will Survive~


12日(月)、V・ファーレン長崎から、原田武男アシスタントコーチ兼U-18監督が来季からギラヴァンツ北九州に就任することが発表されました。

V・ファーレン長崎がホームで勝利したときに流れる音楽がある。
ディスコクィーンと呼ばれたグロリア ゲイナー(Gloria Gaynor)最大のヒット曲であり、未だに名曲と語り継がれる「I Will Survive」だ。長崎でこの曲をチャントに使われていた選手がいる。チーム創設の2005年からプレーし、JFL1年目の2010年に引退した原田武男、現U-18監督 兼 トップチームコーチだ。

原田武男という存在は、多くの人にとってV・ファーレン長崎そのものだった。チーム発足当初、土の練習場で仕事を終えた選手が集まって行われていた夜練習。チームの練習着がないため各自が私物のジャージで練習をしている中、アマチュア選手のために水を運び、昼はチームの洗濯物を洗い、クラブの営業に回って頭を下げ・・。奢らず、偉ぶらず、それでいて厳しく、徐々にクラブの環境が整っていっても、原田武男の姿勢が変わることはなく、V・ファーレンが嫌いという人でも「原田は別」という人がいるくらいだった。

2010年に引退をしたあとも、クラブに残ってサッカーの巡回指導をしたりしながら、2012年に急きょ発足したU-18の監督に就任。発足が余りに時期はずれだったために、7名ほどしか所属しておらず、セレクションを開いても1名しか参加希望者がいない中、2014年に長崎県U-18地域リーグを突破し、2015年に長崎県U-18リーグ2部を全勝優勝。全日本クラブユースへの出場も達成。同時に「U-14Jリーグ選抜」の監督としてスウェーデンで行われた「ゴシアカップ2014」でJリーグ勢として初優勝し、今季も長崎県U-18リーグ1部を無敗で制覇した。

成績だけでない。長崎県のサッカー界とも積極的にコミュニケーションを取り、「原田はよくやっているよ」と信頼を寄せる現場指導者たちも少なくなかった。
文字どおり、クラブが12年かけて磨いてきた宝・・それが原田武男だったと思う。トップチームの高木琢也監督も、来季から本格的に監督として育てたいという意向を持っていたようだ。だが、フロントの強い意向で契約更改はなされず、今回、誠意あるオファーをくれた北九州で監督に就任することとなった。

・・北九州は素晴らしい選択をしたと本気で思う。
V・ファーレン長崎がどこへ出しても胸を張れる指導者であり人間が原田武男だ。J3という環境でチームと街とサポーターと共に必死に戦い続けてくれるだろう。逆にV・ファーレン長崎にとっては、チケット営業をさせればクラブトップレベルのセールスを叩き出し、県サッカー関係と良好な関係を作り、高木監督にとっては信頼すべき片腕で、育成指導者としても実績を残しているクラブの象徴が欠けることになる。

北九州のサポーター、関係者の方々、
原田武男はあなた方と全力で向き合い、逃げたりしない人です。どうか原田武男を信じてJ2昇格へ戦い続けてください。彼と向き合って12年、僕はピッチの中でも外でも1度も裏切られることはなかった。いつだって、彼は僕らの夢を叶えるスーパースターだった。だから、彼はあなたたちも裏切らない。

そして、長崎を、原田武男を愛する方々、原田武男が北九州へ行くと決めた直後、原田武男は僕に・・正確には長崎の全てのサポーターに言いました。
「一つだけ約束して欲しいんです。僕は北九州でもっと成長できるように全力で頑張ります。だから、長崎がもっともっと良いチームなるために力を貸してあげてください。」
いつ、どこであろうと胸を張って会えるために、みんなで約束を守っていきましょう。

長崎と原田武男の物語は一度ここで本をとじる。そして北九州と原田武男の物語は開かれていくのだろう。僕らはいつか、長崎の本に挟まれた原田武男と書かれた栞から物語が再開する日を待ちながら、またスタジアムへと集まっていく。

Oh no, not I, I will survive
(いいえ、 私は生き残る)

For as long as I know how to love I know I’ll be alive
(私が愛を知っている限り、生き続けられることは分かっている)

I’ve got all my life to live and I’ve got all my love to give
(私には生きるための人生、全ての愛がある)

I will survive, I will survive, hey hey
(私は生きていく、私は生きていく)

「Gloria Gaynor:I Will Survive」より。

reported by 藤原裕久

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