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【コラム】V・ファーレン長崎U18の歴史 その①~発足前夜と幻のゼロ期生~

V・ファーレン長崎U18は、今年で設立9年目を迎えた。現在所属しているU18の選手はちょうど第6期生(3年生)から8期生(1年生)にあたる。ここで「何で9年目なのに、1年生が8期生なのか」と思った読者もいるだろう。実はV・ファーレン長崎には幻のゼロ期生がいる。今回はそのあたりも含めてU18の歴史を書いてみたい。

現在では県内トップの強豪クラブとなったV・ファーレン長崎U18

V・ファーレン長崎U18は2012年に発足したが、本来の計画では2013年発足の予定だった。現在のJ参入ルールでは、クラブがJ参入前の時点からU15とU18の両方を保持している必要があるのだが、当時は、すでにU15を発足させていて、U15の子どもたちがJ参入時に高1になってU18を発足させられるのであれば、J参入が認められていたからだ。

当時のV・ファーレン長崎U15、トレーニングの様子

しかし、2013年からクラブライセンス制度の導入を目指すJリーグは、2011年の夏過ぎに「2012年の6月までにU18を発足させなければ、2013シーズンからのJ昇格は認めない」という方向に舵をきる。

2011年の夏の時点で急きょユースを発足させる予算的余裕は、当時のV・ファーレンにはない。何よりこの時点で有力な中学生の進路はほぼ決まっている。絶対的に子供の数は足りない。その中で、どうにか2012年の3月に誕生したのがV・ファーレン長崎U18だった。

監督は現役を引退し、社員として営業などを行ないながら、県内でサッカーの巡回指導を行っていた原田武男(現 U18ヘッドコーチ)。コーチには同じく、県内で巡回指導を行なっていた竹村栄哉(現 ベガルタ仙台強化部長)と加藤寿一(現 スクールコーチ)が就き、ユースダイレクターは強化部の菊次勉さんが就任した。

2012年から2016年まで4年に渡ってチームを率いた原田武男 現U18ヘッドコーチ

肝心の選手だが、県内のいくつかの高校に1年生の子の登録を1年だけ移してもらうよう、無理を承知でお願いした。V・ファーレンも独自にU18のセレクションを開催したが、急ごしらえの発足で、しかも特待どころか、寮も何もない状態のクラブである。応募者は1名のみで、セレクションは中止となった。

このときに、諫早商業高校サッカー部の西信幸監督は、1年生部員に、事実上の県U18リーグ3部にあたる長崎県地域リーグに出場する可能性に言及して、「公式戦出場のチャンスを得るという意味で悪くないと思う」と、希望者を募って協力してくれたという。いろいろ難しい面はあったが、V・ファーレンというクラブを、諫早商業サッカー部と西先生が無理をして救ってくれたと今も感謝している。

諫早商業高校サッカー部の西信幸監督

この子たちが、V・ファーレン長崎U18最初の子供たちだ。後にゴシアカップという世界規模の大会を制し、J3でも指揮を執る原田武男、最初の教え子たちだ。そして、翌年にU15の選手がU18に正式加入するまでの1年間、V・ファーレン長崎U18の名前を守ってくれた、2012シーズンのU18生を、当時を知っている人は「ゼロ期生」と呼んでいたりする。

こんな状態だったので、U18の2012シーズンは成績的にも戦力的にも厳しく、公式戦は大敗続きだった。練習のたびに人数不足で、他クラブから参加者を募って練習をするような状態だった。

だが、1年だけのV・ファーレンの選手として、チームの土台として、次代へバトンをつないでくれたゼロ期生がいなければ、V・ファーレン長崎が2013シーズンからJリーグでプレーすることはなかっただろう。

2012年11月10日に行なわれたJFL 33節。この試合でYSCC横浜に勝利した長崎は、事実上のJリーグ昇格を決定。だが、ゼロ期生がいなければそれもあり得なかった

こうやってスタートしたU18は、3年後に長崎U18リーグ2部を全勝優勝し、全日本クラブユース本大会で全国ベスト16に進出。翌年には県U18リーグ1部を全勝優勝し、九州プリンスリーグ昇格を達成するのだが、それはまた別の話。

reported by 藤原裕久

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