ニイガタフットボールプレス

【インタビュアーはあなた】~vol.1 ゲスト/野澤洋輔選手~その④ コラム「彼がファンのもとに歩むとき」 text by 斎藤慎一郎(日刊スポーツ)

『ニイガタフットボールプレス』読者のみなさまからいただいた質問を選手にたずねて、その答えをお届けする新連載「インタビュアーはあなた」。第1回目のゲスト、野澤洋輔選手の巻は昨日でちょうど折り返し。今回は、長年、アルビレックス新潟を取材し続ける日刊スポーツの斎藤慎一郎さんに、とっておきのエピソードを寄稿していただきました。

③はこちら

■よくぞ、戻ってきてくれた

「本当に戻ってきたんだな」。アルビレッジの練習場でトレーニングする野澤洋輔を見て、ふと思うことがある。

2008年のシーズン後に湘南に移籍し、松本、アルビレックス新潟シンガポールと渡り歩き、11年ぶりに新潟に復帰した。2000年に清水から新潟に移籍してきた当時はまだ20歳。それが今年で40歳。ベテランと呼ばれる野澤の姿を見られる感慨と、懐かしさはもちろんある。それ以上に感じる。「よくぞ今までピッチに立っていてくれた」と。

2013年、松本に在籍していたときのこと。国立スポーツ科学センター(JISS)に野沢の取材に訪れた。当時、膝を痛めてJISSに入院状態でリハビリしていた。取材というより、どちらかというとお見舞いの感覚だった。「まあ、のんびりやるよ」。気さくな対応は相変わらず。ただ、はた目にもケガの重さが伝わってきた。

バネがぎっしり詰まっていたようだった脚はやせ細り、普通に歩くどころか、思うように動かすこともできなかった。明るい表情が深刻さの裏返しのように感じ、帰り際、思わず天を仰いだことを覚えている。

それが取り越し苦労だったことは、その後の実績が示している。松本で戦線復帰し、シンガポールでは不動の守護神。何より今、練習取材に訪れると、若手をいじり、励まし、そして汗を流している。あれから5年以上のときが経っているが、致命傷だったら、当然、「レジェンドの新潟復帰」はなかった。今季はまだ出場機会は巡ってこないが、チームに存在していること自体がチャンスでもある。ビッグスワンのピッチに立つ姿を目にする可能性もあるということだ。

控えに甘んじている現状に、もちろん満足はしていないだろう。ただ、その中で見せている、いつも通りのファンへの接し方に大切なものが垣間見られる。

練習が終わるとファンサービスに向かう。サインをして、写真に収まり、談笑する。時間がかかっても最後の1人まで丁寧に接する。それを当たり前のようにやる。ファンから呼び止められてからではなく、自分からファンのもとに足を運んでだ。

ファンに名前を呼ばせる気遣いをさせず、「サインお願いします」のひとことを口にする緊張を与えない。それが距離を縮め、より親密度を深める。

若いころから進んでファンサービスを行っていた野澤自身にとって、今の行動も大きな変化はないが、立場は変わった。若手ではなくチーム最年長になった。出場機会に恵まれていなくても人気上位。その選手が自らファンと触れ合う。

「いつも来てくれているからね」。選手生命の危機を脱し、さまざまな環境でプレーしてきた。応援されることの尊さは身に染みている。感謝をするのはこちらの方、自分から伝えたい――。心の奥底にある思いを行動で示し周囲に影響を与える。そんな存在になって、野澤は戻ってきた。

彼の当たり前の姿を、当たり前以上に感じ入るチームメートやクラブ関係者が増えていけば、野澤が最も求めているものをつくり出すことに少し近づく。

「満員のビッグスワンが大好き。またあの雰囲気でやりたいね」

[プロフィール] 1967年生まれ。新潟県出身。アルビレックス新潟は創設時から取材。日刊スポーツ新潟版担当として、サッカー以外のプロ、アマスポーツも担当。

(つづく)

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