ニイガタフットボールプレス

【ことばでワンツー 】~早川史哉選手との対話~②

「もう逃げられない。だけど、踏み出さないと」

いま、早川史哉選手はどこに立ち、どう前に進もうとしているのか。28番の現在地に向き合う「ことばでワンツー」。これは、史哉選手と対話をしながら歩もうとするインタビュー企画です。

インタビュー①はこちら

■凍結解除までのストーリー

――去年の11月に契約凍結が解除され、再びプロ選手として今年の高知キャンプに参加しました。もちろん、とても喜ばしいことだったのですが、だからといって、このままとんとん拍子に試合に出られるようになるかといえば、それはまったく違う話で。

ルーキーイヤーにJ1で開幕スタメンを張るだけの実力があることを、史哉選手はすでに証明しています。そして現在、前例のない戦いをしながらチームで競争し、試合に出ることを目指しています。

去年、史哉選手の契約凍結解除を知ったとき、僕は喜ばしさよりも、恐さを感じたんです。だって、契約が満了となる期日に向かって時間が再び動き始めたわけですから。それまでにアルビの選手として十分なパフォーマンスを見せられなければ、契約が更新されないこともあり得るじゃないですか。

「契約を再開しないと、自分の気持ちがちょっともたないな、というのを感じていたんですよ。リハビリからトップチームの練習に参加するようになったのが去年の6月だったんですけど」

――リミットを決めないといけないと感じたんですね。

「そう。退路を断つ。むしろ、あの時期の僕は、そうすることしか良くなる方法を見つけられませんでした。プレーもそうだし、周りの目を含めた人間関係においても。トップチームのトレーニングに参加し始めて、契約凍結解除までのストーリーが、僕の中ではものすごく大きかったと思います」

――その時期、心で支配的だったのは、辛さだったのでしょうか? まずはトップの練習に戻ることを目指してリハビリしてきたわけじゃないですか。実際、戻ってはみたけれど……という。

「ずっと練習生として参加しているような感覚だったんです。チームの一員になり切れていない。そのもどかしさが、すごくありました。

僕は自分のことを、子どものころからプロになった今まで、いろいろなチームに身を置いて人間関係を学びながらやってきているサッカー選手だと思っています。その感覚からすると、あの時期の自分は、チームの中にはいるけれど、自分のところだけ空気が暗い、みたいな。マンガでシャーっと縦線が入って、そこだけ影になっているみたいな(苦笑)。

“みんなと一緒に練習はしているけど、いまの俺はチームの一員じゃないな”、というのがすごく嫌だった。苦しかった。それから、“もうチームの一員だし、まあいいだろう”、“いまはこれくらいしかできなくても仕方ないだろう”という自分もだめだな、と」

■悔し涙があふれ出て

――周りからそういう目で見られている感覚はありましたか?

「周りは気にしていなかったと思います。自分の中の甘えというか、逃げ道を探していただけで。うまくいかないとき、何かしら逃げる理由があった。なかなか体力が戻らなくて息がすぐに上がったり、イメージしているように体が動かなくて、対人でコテンパンにやられたりしても、いまはまだ仕方ないや、という」

――結果、居残り練習で泣いた、という去年の夏の話につながるわけですね。

「そうです。チームが遠征しているときの居残り練習で、グラウンドで泣きました。あれは本当に悔しかった。

そのときシンガポールから練習生が来ていて、彼と僕の組と、(渡邊)凌磨と大ちゃん(坂井大将選手、現大分)の組で2対2をやったんですけど、まあ普通にやられるわけですよ。途中で、『どうする、チームを変えるか?』って言われたとき、あまりにも悔しくて。いやいやいや、そんなの『はい、変えてください』なんて言えるわけないじゃん! と思うじゃないですか。だから『大丈夫です』と言ってそのまま続けるんだけど、やっぱり負ける。そのときに、自分はなんて情けないんだと、まあ悔しくて。久しぶりに悔しくて泣きました」

――そして、それが嬉しくもあり。

「逆にね(笑)。俺の中に、まだこんな感情があるんだ、っていうのが分かって」

――ただ、悔しさは紛れもない悔しさですよね。

「去年、もちろん良くなってはいるんだけど、なかなか自分の中に危機感を持てなくて。病気になって、生きていればなんとかなるという精神を持ったがゆえに、というのがずっとあるんです」

――プロ選手としてはそうかもしれないですが、しかしなかなか……。

「自分の頭では、プロである以上、そういうことは許されないということは分かっているし、突き詰めるのがプロだということも分かっています。だけど、気がつくと闘病生活でつくられた思考になっている自分がいる。そこからどうやって、もう一回、踏み込むのか。契約が満了となって、他に契約してくれるチームが見つからなければ引退、プロサッカー選手としての死ということになります。そこを見詰めて、自分の中にもう一度サバイバル感、競争心が沸き上がってこないと、いつまでたっても甘えたままだし、無理だろう、と感じたんです。だから、それまでも契約についてクラブといろいろ話し合ってきた中で、あのタイミングで契約凍結を解除してほしいということを伝えました」

――去年の夏、2対2でちんちんにやられたとき、「チームを変える?」というのは誰が言ったんですか?

「クリさん(栗原克志ヘッドコーチ)です。何気ない一言だったと思うんですけど、自分にはすごく刺さった。これ、プロじゃねえな、プロを目指している人間でもねえな、と」

――なるほど。そしてここまで話をうかがって、だけどやっぱり、契約凍結が解除されたときのビビった感覚は、僕の中でいまも変わらないです。

「僕もビビりましたよ。もう逃げられないし、恐いですよ。でも踏み出さないと、見えてくるものも見えてこないし」

(つづく)

[プロフィール]はやかわ・ふみや/ DF、28番、1994年1月12日生まれ、新潟県新潟市出身。170cm、68㎏。小針レオレオサッカー少年団→新潟ジュニアユース(現U-15)→新潟ユース(現U-18)→筑波大学を経て、2016年、新潟に加入。開幕の湘南戦にCBとして先発出場、リーグ戦3試合、カップ戦2試合に出場し、4月、急性白血病と診断された。昨年11月12日、契約凍結が解除された。

text by 大中祐二

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