ニイガタフットボールプレス

【ことばでワンツー 】~早川史哉選手との対話~③「90分プレーして分かったこと」

いま、早川史哉選手はどこに立っていて、どのように前に進もうとしているのか。28番の現在地に向き合う「ことばでワンツー」。これは、史哉選手と対話をしながら歩もうとするインタビュー企画です。

※インタビュー②はこちら

■交代は俺かな? いや、違う

――去年の11月、選手としての契約凍結が解除されました。満了となる期日までに、アルビの選手として十分なパフォーマンスができるようにならなければならないし、そこから逆算して、いまやるべきことを、どんどんやらないといけない。大変な作業が続きます。

「逆算の仕方も分からないですからね。これまでのサッカー人生で経験したことが役に立たない。ケガで離脱して、そこからリハビリしてプレーのレベルを元に戻すには……みたいな普通の選手経験が。

だけど、この先がどうなっているか真っ暗なまま踏み込みました。いま踏み込まないと、もう気持ちがもたないというのがあったから。親には『契約再開は早いんじゃない? ワンプレーで息が上がるし、まだ無理でしょ』と言われました。でも、いまなんだよ、やるって決めたよ、と。詳しくは話さなかったですけどね」

――クラブ、主に強化部になると思いますが、話し合いを重ねながら。

「病気が分かったときの強化部長が神田(勝夫)さんで、トップチームのトレーニングに復帰した当時が木村(康彦)さん。そして、契約凍結の解除を決めたときが、神田さんでした。

本当にいろいろ配慮していただきながら、少しずつしっかりと話し合いを進めました。13歳から新潟県のトレセンで指導してもらっていた木村さんは、特に慎重で。

トップのトレーニングに戻って、しばらくして神田さんが強化部長に再び就任されました。それが、契約凍結を解除する一つのきっかけといえるかもしれませんね」

――そして凍結解除から約半年後の先月5日、長野パルセイロとのトレーニングゲームで、復帰後、初めて90分間プレーされました。

「右サイドバックでとりあえず行ってみるか、みたいな感じでした。途中できつくなったら言ってくれ、ということで。だから試合中も、ベンチとたびたび『まだ行けるか?』、『行けます』とやり取りしながら、プレーし続けました」

――トレーニングゲームを指揮していたのは?

「クリさん(栗原克志ヘッドコーチ)です。ベンチ前で選手が準備していると、“俺と交代かな?”、“いや、俺じゃない”、“今度は俺かな?”、“いや違う”……というのがあって、気がついたら90分経っていました」

――サイドバックだから、運動量を求められたと思います。

「監督が吉永さんになって、それまでチームが築いてきたものをベースにしつつ、ボールをつなぎながら前進し、急ぎ過ぎないというサッカーにシフトしたことが、いまの自分にとっては体力的にやりやすいというのがあります。トレーニングゲームでは、僕の前でフランシス、(森)俊介というウイングタイプのドリブラーがプレーしていて、彼らを追い越してというより、後ろからボールをしっかり運びながらサポートするという関係性もありました。そういう選手の配置もあっての90分でした」

■限界をつくらいない方がいいよ

――“90分プレーすることで、こんなに変わるとは思わなかった”とおっしゃっていました。具体的に、どういう変化があったのですか?

「まず、頭の中ですよね。今までハーフ持つかどうか分からなかったのが、“なんだ、90分持つじゃないか”と(笑)。

そうなって、何が変わったかは分からないんですけど、脳のどこかのスイッチが入ったんでしょうね。トレーニングゲームのオフ明けから、息の上がり方とか体の重さとかが急に気にならなくなって、自分でも本当にびっくりしています。体って、こんなに簡単に変わるものなの? という。こうなると分かっていたら、もっと早く90分出てたよ、って思います(笑)。

自分の体のことなんだけど、自分でも説明が付かないです。だってフィジカル的に、ただの1試合とか1週間で、突然、良くなるはずないじゃないですか」

――すでに90分、プレーできる状態になっているところで、史哉選手の脳が史哉選手自身にスイッチを入れたんですね。

「掛けているつもりはなくても、無意識に自分で自分にブレーキを掛けていたんでしょうね。去年6月からトップチームでのトレーニングを再開して、いろいろな方からアドバイスをいただきながらやってきて、その一つに『自分で自分に限界をつくらない方がいいよ。自分でブレーキを掛けちゃっていると思うけど、たぶん、90分なんてすぐ行けちゃうよ』というのがあったんです。そのときは、“そんなわけないじゃん”と思いましたけどね(笑)。自分の体は自分が一番、分かっているわけだし。だけど実際90分出て感じたのは、やっぱり自分でブレーキを掛けていたんだ、ということでした」

――90分プレーできるのが普通だと分かったわけですね。

「まだ、メニューによっては対人トレーニングできついものもありますけど。変化が大きかったのは、体というより気持ちの部分なのかなと思います。ことばにしてしまうと、ちょっと軽いかもしれないけど。

これ、病気になってみて、面白いなあと思うんですけど。面白いというのは、ちょっと違うかな? 例えば風邪を引いて、しばらくして日常生活に戻るじゃないですか。そのとき周りは、“あの人は病み上がりだ”っていう認知の仕方ですよね。その時点で区別がある。もう病状は収まっているのに。

それで当人も引け目というか、ハンデを感じちゃう。例えば僕であれば、紅白戦に出られず、ピッチ脇で別メニューをやっていたりすると、いつの間にか悲観的になっているときがある。自分自身、間違いなくすべてを一生懸命やっているにもかかわらず」

――なんだか悲しくなっちゃう。

「それって、自分で自分を他の選手より一段、下に見てしまっているということですよね。そこが一番大きな要因じゃないのかな、って思います。そういう意識が自分をがんじがらめにして、なかなかうまく行かない」

――そうしたブレーキを、パチンと外してくれた90分だったんですね。ある意味で、もう言い訳できないし、上げるだけ上げていいというスイッチにもなった。

「そう。だから、本当に面白いなあ、と思います」

(了)

[プロフィール]はやかわ・ふみや/ DF、28番、1994年1月12日生まれ、新潟県新潟市出身。170cm、68㎏。小針レオレオサッカー少年団→新潟ジュニアユース(現U-15)→新潟ユース(現U-18)→筑波大学を経て、2016年、新潟に加入。開幕の湘南戦にCBとして先発出場、リーグ戦3試合、カップ戦2試合に出場し、4月、急性白血病と診断された。昨年11月12日、契約凍結が解除された。

text by 大中祐二

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