ニイガタフットボールプレス

【無料記事】ことばでワンツーvol.2~早川史哉選手との対話~②「白血病が見つかるまでの1週間」

いま、早川史哉選手はどこに立っていて、どのように前に進もうとしているのか。28番の現在地に向き合う「ことばでワンツー」。これは、史哉選手と対話をしながら歩もうとするインタビュー企画です。

①あのとき、せめぎ合っていた思い

■緊急入院と言われ、ホッとしました

――現時点で、最後に公式戦のメンバーに入ったのが2016年4月、J1第8節の名古屋戦戦(●1-2)です。

「足の付け根のリンパが、ぼこぼこに腫れたんです。触らなくても、見ただけで分かるくらい。そこで心が折れたというか。

それまでは動けない悩みを抱えながらも、だけど誰かに相談するわけにもいかず、という状況でした。スタッフに『ちょっとここが腫れてるんですけど』とか、『体が動かないんですけど』と伝えて、それがメンバー選考に影響したら……そう思うと、やっぱり言えませんでした。

だけど、名古屋戦で会場の瑞穂に行って、三岡さん(三岡智規ドクター)を見たとき、言わずにはいられなかった。迷ったんですけど、そこで相談しました」

――試合の前ですか?

「試合前です。ロッカールームで準備をしているときに。のどと足の付け根が腫れてるんですけど、って見てもらったら、『これは病院に行った方がいいね』と言われました。

試合が日曜だったから翌日はオフで、新潟に戻って病院に行きました。そこで血液の値があまりよくないというのが分かりました。次の日に別の病院に行って血液検査をして、やっぱりおかしい、と。そこから、いろいろな検査が始まっていくんですけど」

――その段階で、史哉選手自身は白血病かもしれない、という思いはあったのですか?

「いや、まだウイルス性の体調不良だと思っていました。だけど、3回目に病院に行ったとき、もしかすると慢性の白血病かもしれないと言われたんです。でも薬で治るという話を聞かされて、じゃあ、大丈夫かな、と」

――ショックは受けなかったんですか?

「なかったですね。家に帰って、親に『白血病らしいんだけど、薬で治るって』と伝えたら、親の方が驚いていました」

――それは驚きますよ。

「あんた、白血病がどういう病気か分かってるの? ちゃんと考えてるの? って母親には言われて。分かってるし、でも薬で治ると言われたし、という感じで次に検査に行ったら、どうやら慢性じゃなくて、急性の可能性も捨てきれないと言われました。

で、骨髄検査をするんですけど、それが本当に痛かった。こんなに痛い検査をするということは、ちょっと大変なことかもしれないな、とそのとき初めて思いました。

それがゴールデンウイークの頭くらいで、検査の結果、緊急入院することになりました。数値が良くないし、何かあったら大変なので、とりあえず入院してください、と」

――その間、名古屋戦から1週間とちょっとですよね。変化のスピードに、ついていけなかったのではないですか?

「そのときは本当にガガガガガッと状況が変わっていって、深く考える時間もなく、気がついたら検査の毎日になっていました。俺としては、ちょっとホッとしたんです。どうやっても動かない体を、やっと休ませることができると思ったから。

あそこで、『問題ないですから、家に帰っていいですよ』と言われる方が無理だった。緊急入院することになって、そりゃそうだよな、それが正解だよな、という感覚でした。自分の体のことは、自分が一番分かるじゃないですか。だからショックというより、納得しましたね」

――そこから自分でも病気のことをいろいろ調べたのでは?

「調べなかったです。親がネットでいろいろ調べていたから。俺は、何を調べてるんだろ、と思っていましたけど(笑)」

――当たり前ですよ。心配だし、いろいろ調べますよ。

「親は、急性白血病じゃないことを願っていたみたいです。白血病じゃない、別の病気の可能性があるんじゃないか、って。白血球の数値が高いとか、疲れやすいとか、ネットで調べたら白血病以外の病気も出てくるじゃないですか。それで、そのための検査を病院でお願いするんですけど、ことごとく違う。この病気には該当しない、となる。最後は親父と2人で検査に行っていたんですけど、ずうっと携帯で調べながら、『この検査はまだやってないよな』とか、一人でぶつぶつ言ってて。まだやってんのかよ、と思いましたね(笑)。だけど、親の必死さはすごく伝わってきました」

つづく

[プロフィール]はやかわ・ふみや/ DF、28番、1994年1月12日生まれ、新潟県新潟市出身。170cm、68㎏。小針レオレオサッカー少年団→新潟ジュニアユース(現U-15)→新潟ユース(現U-18)→筑波大学を経て、2016年、新潟に加入。開幕の湘南戦にCBとして先発出場、リーグ戦3試合、カップ戦2試合に出場し、4月、急性白血病と診断された。昨年11月12日、契約凍結が解除された。

text by 大中祐二

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