ニイガタフットボールプレス

【無料記事】ことばでワンツーvol.2~早川史哉選手との対話~④「ポジティブに頑張れる理由」

いま、早川史哉選手はどこに立っていて、どのように前に進もうとしているのか。28番の現在地に向き合う「ことばでワンツー」。これは、史哉選手と対話をしながら歩もうとするインタビュー企画です。

③「まだ僕はチャレンジできるんだ」

■毎日、極限まで追い込んでいたからこそ

――3年前に急性白血病と診断され、骨髄移植を経て、現在は日々、全力でトレーニングに打ち込み、再び試合でプレーすることを目指しています。現在の史哉選手は定期的な検査のみで、薬も飲んでいないわけですが、白血病の場合は完治ではなく、寛解(※)とい表現をされますね。
(※病気の症状が軽減、またはほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態で、治癒とは異なる)

「どうやら、そうらしいんです。5年経って寛解だと言われてますけど、オールオーケーというのはない。それって何なんだろう、じゃあ、一生なの? という話で」

――風邪とか骨折が完治する、というのとは違う。

「常にリスクを抱えているんだよ、という風に自分では理解しています。オールオーケーはない。この間、窓を開けたまま寝ちゃって、少し風邪っぽくなってしんどかったんですけど、そういうときに正直、病気のことがよぎったりもします。親はそういうのを敏感に察知していろいろ言ってくるから、それでけんかになったり(苦笑)。病院に行け、行かなくても大丈夫、というので」

――親御さんは心配しますよ。史哉選手の中で、白血病に対しての闘病という言葉の意味も、変わってくるのではないでしょうか?

「そうですね。入院して抗がん剤治療や放射線治療を受けている間は闘病期間ですよね。それから、薬を服用している期間も」

――服薬については、さまざまなケースがあるんですよね。

「自分は今、日常的に薬を飲んでいませんが、急性白血病の同じタイプでもずっと薬を飲み続けなければならない方もいるし、本当に一人一人違います。

そして自分の場合は、サッカーのためのリハビリが始まったところで、闘病期間は一区切りついたのかな、とは思います。だけど、心のどこかでは、常に病気と戦い続けています。この間もメディアの方に、『白血病を乗り越えた身として、メッセージをお願いします』と言われて、『いや、まだ乗り越えていないですし、ずっと戦い続けています』と前置きをしてから話をさせていただきました。

子どものころに白血病になって、大人になって今度は別のがんになった、という話もうかがいます。だからがんになったことがない人よりは、少なからずそういう恐怖におびえながら、というのがあるとは思います」

――本当にがん検診、早期発見、早期治療の重要性ですよね。史哉選手の場合、それがとてもに大きかった。

「本当にサッカーをやっていてよかったです。3年前、1月のメディカルチェックでは血液の数値に何の問題もなくて、4月に急性白血病と診断されました。その後、ドナーもすぐに見つかって、骨髄移植手術を受けられました。もし自分がJリーガーではなく、学校の先生や普通の会社勤めをしていたら、もしかすると『ちょっとだるいけど、風邪かな?』と思って見過ごしていたかもしれない。だけど毎日トレーニングで極限まで体を動かしているから、ほんのちょっとの体調の変化や疲労感も気づくし、そこが大きかったです」

■トレーニングすれば、きっと戻ってくる

――現在の史哉選手をJリーガーとして考えるとき、筋量や体脂肪など、数値的な部分は白血病になる前のレベルまで、ほぼ戻っているそうですね。

「数値的にはそうなんですけど、でも自分からすれば、まだまだ厚みが足りない。足は多少、太くなってきましたが、上半身、腹回りが薄いですね。だから競り合いでブレるし、動きの不安定さ、鋭い動きができない要因でもある」

――体幹ですね。

「今は毎日、練習前に必ず体幹を鍛えてますよ。小さい車輪にバーが付いていて、それを両手で持ってコロコロ前後させる器具があるじゃないですか。あれ、めっちゃ効きます(笑)。俺、こんなに体幹弱くなってたんだ、って実感できます。それまでやっていた体幹メニューは普通にできるようになっているのに、ちょっと違う刺激の入れ方をすると、1週間くらい筋肉痛が取れない。まだまだ伸びしろがあると感じられて、嬉しいんです(笑)」

――この筋肉痛を乗り越えたら、もっと強くなれるぞ、と(笑)。

「もちろん、この間の天皇杯のメンバーに入れなかった悔しさはあります。自分としては、調子がグッと上向いてきたと感じられたタイミングでもあったし。だけど、まだまだやるべきことはいっぱいあるというのも事実で。急ぎ過ぎても仕方がないところがあります。

入院中、抗がん剤治療を受けていた期間でも、本当にきついとき以外はリハビリ室に行って、自分なりに腹筋とかやっていました。だけど、ずっとベッドに寝ているというのは、こういうことなんだというのを、今、実感してもいます。人間の体は、見えないところで実は衰えているし、さびているんだなというのが、痛いくらい刺さってくる」

――そして、それを実体験として味わったJリーガーは、ほとんどいないですからね。2年のブランクを経て、再び出場を目指すというのは。

「でも、思うんですよ。例えばひざの大けがをした選手は、その後、プレーの感覚が変わったり、動かすのが恐いって言うじゃないですか。それが原因で引退しなければならないことだってある。

だけど入院中から思っていたのは、自分の場合は別に体のどこかが壊れたわけじゃない。しっかりリハビリをやって、トレーニングすれば、きっと戻ってくる。そこに、自分なりの可能性と希望を見い出してもいました」

――続けていけば、必ず取り戻せる。

「以前、キタジさん(16年シーズンの北嶋秀朗コーチ、現熊本)が手すりを持って、ゆっくりクラブハウスの階段を下りているのを見て、『何やってるんですか?』と聞いたんです。そうしたらキタジさん、『俺、ひざが悪いからさ。普通に階段を下りられないんだよ』って。けがでサッカーを奪われちゃう人がいるけど、自分は病気でサッカーを奪われたわけじゃない。そう考えるだけで、ポジティブに競争ができるというか、頑張る理由になりました」

つづく

[プロフィール]はやかわ・ふみや/ DF、28番、1994年1月12日生まれ、新潟県新潟市出身。170cm、68㎏。小針レオレオサッカー少年団→新潟ジュニアユース(現U-15)→新潟ユース(現U-18)→筑波大学を経て、2016年、新潟に加入。開幕の湘南戦にCBとして先発出場、リーグ戦3試合、カップ戦2試合に出場し、4月、急性白血病と診断された。昨年11月12日、契約凍結が解除された。

text by 大中祐二

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