ニイガタフットボールプレス

【無料記事】ことばでワンツーvol.2~早川史哉選手との対話~⑤「スパッツに開いた穴」

いま、早川史哉選手はどこに立っていて、どのように前に進もうとしているのか。28番の現在地に向き合う「ことばでワンツー」。これは、史哉選手と対話をしながら歩もうとするインタビュー企画です。

④「ポジティブに頑張れる理由」

■病気になって、自分に正直になれました

――今回の「ことばでワンツー」vol.2は、急性白血病と診断された史哉選手が、そこから生きること、それもプロサッカー選手として生きることについて何を考え、実際どう歩んでいるのかをうかがいました。

「生きることは、もちろん大事です。だけどサッカーをしたい、後悔はしたくないというのもありました」

――白血病になったプロサッカー選手として、生きていく。

「親は、え? という感じでしたけど(笑)。ただ今回は、自分の心が動く方に正直になれました。

今まで僕はどちらかというと、その先のことをいろいろ考え、決断してきたんです。高校を卒業するとき、本当はそのままプロに行きたかった。道はいろいろあるじゃないですか。その中でサッカー選手であれば、高校から一直線にプロになって早くから活躍できれば、それが一番いい。実際、そういう選手もいるし。

だけど当時は、どこか素直になれなくて。今回、病気になって、自分の気持ちに正直になれました。それは本当に大きかったですね」

――まず、サッカーを選べた。

「周りのサポートのおかげです。アルビレックス新潟というクラブがあり、自分はジュニアユース(現U-15)からここで一生懸命サッカーをやってきて、そのクラブにもう一度、サッカー選手としてチャレンジする機会を与えていただいた。そして、いくら僕がチャレンジしたくても、病院の先生、スタッフのみなさんの支えがなければ、ここまで順調に来るのは難しかったと思います」

――それにしても、天皇杯は残念でした。2回戦・金沢戦の登録メンバー30人には入っていませんでしたが、チームが3回戦に勝ち上がれば登録メンバーを変更できたので、なおさらそう感じます。

「選ばれた選手たちは、間違いなく全力で戦った結果なので、残念ですけど仕方がないです。それに個人的には、ここ数カ月で周りからの評価がガラッと変わったのを感じているので。紅白戦でもサブ組のスタートから出られるようになったし、それだけでも違うと感じます」

――日々のトレーニングの中で、手応えをつかめているんですね。

「ありますね。それがすごくうれしいし、自分がやり続けていることを見てもらえていると感じます。それだけでも孤独感、辛さは全然違います。紅白戦もずっと外されて、“取り組みを見てもらえていないんじゃ……”と思いながら取り組んでいるわけではないし。すごく前向きです」

――競争に集中できているわけですね。

「例えば、火曜のフィジカルトレーニングでは、本当にだめな姿をメディアや練習見学に来たサポーターのみなさんにもお見せしていますけど(苦笑)、それでも前向きにやれているんですよ。苦しいけど、ここを越えたら……というのがある。気の持ち方次第なんですが、非常にポジティブにやれています」

――現状をポジティブに受け止めるかどうかで、大きく変わりますものね。ところで、クラブの國井拓也広報からうかがって感動した話があるんです。史哉選手がトップの練習に戻る以前、新潟U-18に混ざってリハビリを兼ねた練習をしていたころだから、去年の春先ですかね。スパッツに開いた穴を國井広報が冷やかしたら、「こうなるくらい、激しくサッカーをやってよくなったんですよ」と、史哉選手が嬉しそうに答えた、というお話です。

「ああ、確かに言いましたねえ!もう、血を出してもいいんですよ、それくらいやっても大丈夫なんですよ、って」

――ということは、ある時期までは血が出るほどやってはいけなかったのですか?

「免疫が落ちていて、傷口から菌が体内に入ると感染するリスクがあるんです。だから入院中、ひげを剃るときはカミソリではなく電動のシェーバーを使うように言われたし、トイレは洗浄便座を使うよう指導されました。深爪に気をつけてください、とか。本当にいろいろな制約があったんです。

それがある程度、大丈夫ですよ、となったとき、血が出るまで思い切りサッカーができるって、いいなあ! という僕の素直な気持ちが、言葉になって出たんでしょうね。國井さんにスパッツの穴を指摘されたとき」

(vol.2 了)

[プロフィール]はやかわ・ふみや/ DF、28番、1994年1月12日生まれ、新潟県新潟市出身。170cm、68㎏。小針レオレオサッカー少年団→新潟ジュニアユース(現U-15)→新潟ユース(現U-18)→筑波大学を経て、2016年、新潟に加入。開幕の湘南戦にCBとして先発出場、リーグ戦3試合、カップ戦2試合に出場し、4月、急性白血病と診断された。昨年11月12日、契約凍結が解除された。

text by 大中祐二

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