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ニイガタフットボールプレス

【特別インタビュー】~2020年、アルビとの再会~「ソリさんの下での学びが財産。それを今、選手たちに伝えています」(末岡龍二監督/聖カタリナ大学サッカー部)

昨日の練習試合の相手、聖カタリナ大を率いる末岡龍二監督は、2002年から計3シーズン、新潟でプレー。練習試合の感想、監督としての指導方針、自身もプレーしたインドサッカーの話などうかがいました。これまでのさまざまな経験は、「ソリさんの下で学んだことは財産。今、選手たちに伝えています」のことばに集約されます。

■朝練の効用

アルビレックス新潟が11-0で勝利した昨日のトレーニングゲーム。相手の聖カタリナ大学は愛媛県のチームで、昨年、四国大学リーグ2部で6戦全勝、無失点で優勝し、今年の1部昇格を決めました。2週間前に始動したばかりのチームにとって、どのような経験になったのでしょうか?

「アルビレックス新潟さんが、どう感じたかは分かりませんが、僕たちにとってはすごくいい経験をさせてもらいました。シーズンをスタートするところで、上のレベルのチームが、どういうサッカー、強度、質を持っているのか、肌で感じることができた。本当にかけがえのない経験になったし、ありがたいです。新潟さんはプレーの強度も高く、前からプレッシャーを掛けてきたし、選手の立ち位置やオンザボールの質、フィニッシュの質、それらは本当にすばらしいものがあったと思います」

末岡監督が最後にプレーしたのは、インドIリーグのプネFC。2015年の終わりに現役を引退し、翌年2月から愛媛FCのアカデミー普及コーチとなり、4カ月後の6月に愛媛FCから派遣という形で聖カタリナ大学の監督に就任します。

「実は、新潟つながりの話でして。僕が新潟でプレーした最後の年、2005年に、チームに同い年の青野大介がいたんですが、彼、愛媛の出身で。ガンバ、ヴィッセル、新潟を経て、最後は愛媛FCでプレーして引退したんですけど、当時、愛媛FCのアカデミーダイレクターをやっていて。それで僕は、『うちのクラブにアカデミーの指導者として入ってくれないか』と誘ってもらいました」

愛媛の地で、新たにスタートした指導者としてのキャリア。大学の監督としての日々は、困難とともに始まります。

「最初の年に、僕が2部に降格させてしまったんです。それでようやく昨年、復帰することができました。

監督として来たとき、とにかくいろいろな面で、まだ洗練されていませんでした。環境面もそうだし、選手自身の意識も。それらに、ひとつずつ取り組んでいきました。

たとえば、それまでの練習環境は大学の土のグラウンドで、反面しか使えなかった。それを、地域の公共の施設と業務提携を結んで、毎日、人工芝のグラウンドでトレーニングできるようにしたり。

選手の意識の部分は、それこそ、まずは毎日ちゃんと練習に来るところからでした。遅刻したり、無断で休んだり、すぐに辞めちゃったり。それだけ、僕の指導力がなかったということです。

そういう次元からスタートして、今は遅刻も欠席もないし、みんなトレーニングでもゲームでもハードワークします。今日の試合も大差を付けられましたが、最後まで一生懸命プレーしていましたし。徐々にではありますが、いろいろな面で良くなってきていると思います」

実際、聖カタリナ大の選手たちは、「最後までしっかりプレーしよう」と声を出し続け、その通りにプレーしていました。そんな彼らのトレーニングは毎朝、なんと6時15分から始まります。そしてそこに、末岡監督の指導方針の一端を見ることができるのです。

「大学って、みんな自由に授業を履修しますよね。生徒によっては午前で授業が終わったり、午後も授業があったりする。だから夕方からトレーニングしようとしても、なかなか合わないんです。

だったら朝、6時から8時までトレーニングをやって、みんなで一緒にご飯を食べて授業に出るというやり方の方がシンプルだし、メンタル的にも鍛えられるんじゃないか、と。朝、起きなきゃいけないですから、自然に前の夜は夜更かしもできない。そういう、生活のリズムも考えて、2年ほど前から朝練を取り入れています」

■海外でプレーできた秘密

2002年から2005年までアルビレックス新潟でプレーした末岡監督(2004年は新潟シンガポールに期限付き移籍)。その後、シンガポール、タイ、インドと、アジアの国々でプレーしました。現在、インドにはIリーグとインディアン・スーパーリーグ(ISL)の2つのプロリーグが存在します。末岡監督は、Iリーグで6シーズンに渡ってプレーしました。

「Iリーグは歴史のあるリーグで、プレーオフに出場してAFCチャンピオンズリーグに出る可能性もあります。ISLが立ち上がったのは、僕がいたとき(2013年設立)。最初は1シーズン3カ月くらいの本当に短いリーグで、デルピエロとかトレゼゲといったビッグネームを呼んでいたんですけど、今は8カ月くらいのリーグになっています。かつてほどのスタープレーヤーを取れなくなっていますが、ただ外国籍選手の質からみれば、ISLの方がIリーグより条件がいいと思える分、質も高いかな、と思います」

2010年からIリーグでプレーした末岡監督は、2011年、サルガオカーFCでリーグ優勝。28試合に出場し、27得点を挙げて、年間最優秀選手に輝きました。

今シーズン、新潟に新加入のペドロ・マンジー選手が昨シーズン、プレーしたのがIリーグのチェンナイシティFCです。ペドロ選手はデビュー戦でいきなりハットトリックを決めると、シーズン計4度のハットトリックで26ゴールを挙げ、得点王となっています。

末岡監督から見る、Iリーグにおける外国籍選手の「存在感」は?

「ローカルのインド人選手は、ちょっとレベルが落ちます。Jリーグに比べると、レベルが落ちるのは間違いない。そういう選手たちとコンビネーションを組まないといけない難しさがあります。それから、やっぱり外国籍選手としてプレーさせてもらっているので、FWだったら絶対に点を取らないといけないですし、そこは本当にシビアに見られます。

ただ、プレーもそうなんですけど、サッカーをする以前のところも大事で。僕がいたときは、本当にまだまだリーグが洗練されていなくて、契約書もひどいものでした。何より、まずはインドで生活しないといけないところから始まる。食事とか、習慣、文化に順応できる選手じゃないと、活躍するのはまず無理です。

そういう意味で、昨シーズン、ペドロ選手が結果を出したということは、環境に慣れるタフさと柔軟性があるということです。これから日本で活躍する上でも、大事な要素だと思います」

ひときわインパクトのあるインド時代の影響が、2016年に国際サッカー連盟(FIFA)公式Youtubeチャンネルでも特集された、「靴職人」としての横顔です。

「インドの職人さんの靴修理の技術がすごくて、感動したんですよ。向こうではスパイクは高級品で、なかなか新品を手に入れることができない。だから壊れると、街の靴屋さんに持って行って修理してもらうんです。仕事的には雑なんですけど(笑)、でもちゃんと数ヵ月は履けるし、『これは、すごいな』、と思いました。

それで僕も真似しようと、日本に戻ってから専門学校に入りました。ちょうど奥さんが出産を控えていたタイミングで、自分はチームを探しながら時間もありましたから。奥さんに、『まずは靴の仕組みから勉強しないといけないじゃん』と言われて、『あ、そうだな』と学校に入って、革靴を何足か作りました。

ただ、実際は時間がないし、ビジネスとして成立しそうにないのもあって、今は作っていませんが。いい思い出です」

かつて新潟でプレーし、新潟の縁があって愛媛で指導者のキャリアをスタートさせ、そして自ら大学チームを率いて、新潟と対戦する。最後に末岡監督に、今季のアルビレックス新潟に何を期待するのか、うかがいました。

「僕は、いつでもアルビレックス新潟を応援しています。僕がプレーした3年間は、J2からJ1に上がったときで、4万人のサポーターがビッグスワンに入っていただいて、本当にいい思い出です。

アルビレックスを退団してから、僕はトータルで11年、海外でサッカーをやらせてもらいました。なんでそんなにできたかっていうと、反町(康治元監督)さんの下、新潟で勉強をさせてもらったからなんですよ。それが本当に、今でも僕の財産で。その財産を持って海外に渡って、それでやれたと思うんです。だから新潟には感謝しかないし、もちろんJ1に復帰してほしいと強く思います。

ソリさんから学んだのは、一番はハードワーク。まず走らないと、話にならない。サッカーで当たり前のことを、当たり前にやるっていうのを、徹底的に叩き込まれました。ボールを奪われたら、奪い返す。奪ったら、ゴールに向かう。今、僕がどれだけそれを選手たちに植え付けられているかは分からないですけど、僕が彼らに求めていきたいのも、そこですね」

【プロフィール】
末岡龍二(Ryuji Sueoka)。1979年5月22日生まれ、山口県出身。中京大を経て、02年アルビレックス新潟に加入。04年、期限付きで新潟シンガポールでプレーし、06年、シンガポールのゲイランユナイテッドに移籍。タイ、インドのチームでプレーし、15年限りで現役引退。16年2月、愛媛FCアカデミー普及部コーチとなり、同年6月から聖カタリナ大学サッカー部の監督を務める。

text by 大中祐二

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