ニイガタフットボールプレス

【躍動の季節】~成岡翔が語る2013年~Vol.1「勝つまで続けるだけだった。悪い感じは持っていませんでしたね」

いまこそ、あの1年の激闘をレジェンドが振り返る――。アルビの本質に迫るスペシャルインタビュー第2弾は、昨季限りで現役を引退した成岡翔さんが登場。2013年を語ります。前年、最終節に大逆転でJ1残留した新潟に加入した成岡さんは、果てしなくきつかったというキャンプに、何を見いだしたのでしょうか?

■すっきりとした気持ちで引退しました

――ごぶさたしております。

「どうも~」

――現在、新型ウイルスの影響で大変な毎日ですが、近況はいかがですか?

「今年、サッカースクールで教えることがメインになるんですけれど(※)。いまはすべて休校になっていて、無職の状態です」

(※サッカースクールSKY。スクールのHP:https://www.sky-soccer.net/

――大変ですね。

「サッカースクールは東京にあるんですけど。俺はいま、神奈川に住んでいて。そこから通うことになるんですけど」

▽インタビューの音声をお聞きいただけます▽

――昨年いっぱい現役を引退。17年間、お疲れさまでした。

「ありがとうございます」

――現役引退は、すべての選手に訪れることですが、あらためて振り返っていただけますか?

「満を持して、ではないですけれど、自分の中で、いろいろ限界を迎えていて、その上で『自分が辞める』というタイミングで辞められました。だから幸せというか、すっきりとした気分です。多くの選手が、『もっとプレーをしたい』という思いがありながら引退していくと思うんですけど、俺の場合は、十分、やったという気持ちです。納得というか、やり切った気持ちがあります」

――しかも最後のシーズン、故郷である静岡、藤枝に戻ってという。

「それは本当に、一番、良かったと思えるところです」

――フィジカルコンディションでいえば、新潟の最後のころでさえ、ひざの痛みからプレーが難しいところがありました。

「現役を辞めたらどうなるのかな、と考えたりもしましたけど、思ったよりサクッと切り替わって、次のことをやろうという気持ちです。思いのほか、現役への未練はなくて。

現役を引退しても、Jリーグや海外のサッカーを見ると、複雑な気持ちになるという話も聞きます。それは、まだプレーしたい気持ちが残っているからだ、と。

でもいまの自分は、完全に一人のファン目線。それから指導者的に、『こういう流れなら、こうすれば……』という見方、思考に切り替わっています。本当にすっきりしていますよ」

――ラストゲームとなったJ3第34節、藤枝対北九州戦。その日の朝のツイートが、最高に格好良かったです。

「ははははは。なんでしたっけ?」

――いい天気で、最高の気分だ、という。

「ああ! あの日、めっちゃ天気が良かったんですよ。それも含めて、変な言い方ですけれど、順序を踏んでというか、本当にうまい具合に引退できたな、と。いろいろな準備をしながら」

――体の状態と向き合いながら、気持ちを整理しながら、という。

「そうですね。すべてにおいて良かった」

――で、最後に出場するところの映像を拝見しましたが、本当におかしかったです(笑)。

(90+5分に交代出場。ピッチに入る直前にゴールが決まり、これが決勝点に)

「ははははは。自分でも面白かったです。意外に冷静でね。いろいろ考えながら、びっくりするくらい楽しんでいました。ピッチ脇で交代を待っているんだけれど、プレーがなかなか切れなくて、どんどん、時間がなくなっていって。これ、出れないんじゃないか? っていう。このまま終わっちゃうんじゃない? というか、このまま終わったら面白いな、と」

――そっちですか(笑)?

「このまま終わったらめっちゃ面白いじゃん、って。自分でもくすくす笑ってました。そうしたら点が入って。その瞬間、自分でもびっくりしたんですけど、そのままピッチに入っちゃった」

――気がついたら。

「そうそう。うれしくてね。点を入れたのも、すごく仲のいい後輩で(岩渕良太選手)。本当にうれしくて。それもなかなか面白いネタになるかな、と」

▽インタビューの音声をお聞きいただけます▽

――あの一連の映像は最高でした。そして試合後のセレモニーで、大井健太郎選手(現ジュビロ磐田)が来てくれて、花束を手渡していただいた。

「一番、一緒に長くサッカーをしたのが健太郎だから。それこそ小学生のころから、プロになっても磐田や新潟でね。うれしかったですよ」

■これがキャンプの成果なんだ

――その健太郎さんについて、2013年、アビスパ福岡から新潟に加入した当初、「すごく変わっていたから驚いた」とコメントされています。

「ぶっちゃけて言っちゃうと、ジュビロのときの健太郎は、守備をしていても致命的なミスをすることがあったんです。いいプレーもあるんだけど、なかなか安定しない。そういうイメージがあった。だけど新潟に来てみたら、安定感と信頼感がすごかった。驚きましたよ」

――本人に話したことは?

「ないっすね。俺が上から目線で言うことでもないですし。あえて言葉にしなくても、お互い、そういうところは分かってるんじゃないかな。新潟で、俺は健太郎のことを本当に頼りにしていて、プレーについてああだこうだ言ったことはないです。キャプテンを務めるようになったし、信頼していました」

――2013年、新潟に加入して最初のキャンプについて聞かせてください。

「3次キャンプだったんですよね。沼津、高知、清水と。とにかく、フィジカルトレーニングがきつすぎました。うそだろ? というくらい。俺、できないメニューもありましたから(笑)。重りを持って、台に飛び乗るとか。死ぬほどきついキャンプでした」

――センパチとか(1000mを8本、それぞれ一定時間以内に走るフィジカルトレーニング)。

「センパチ、久しぶりでしたよ。ジュビロ時代以来。しかも新潟では、設定タイムがめっちゃ速いし。キャンプ中、ずっと『きつい……』と言っていた記憶があります」

――それでも当時、柳下正明監督(現ツエーゲン金沢監督)は褒めていましたよ。「ジュビロ時代、翔は設定タイムに入れなかった。それが、新潟に来て入れるようになった」と。

「新潟でも最初は入っていなかったんだけどね(苦笑)。数年やるうちに、確かにタイムも良くなって、設定タイム以内に入れるようになった。そこは伸びたかな」

――キャンプ中に、新潟のサッカー、やり方を吸収する必要もありました。

「ボールを奪いに行く、人に付く。ヤンツーさんが言うのは、ほぼ守備のことなんだな、という印象でした。それはそれできつかった。常に寄せ続けるとか、ボールを奪い切るというのは、自分が苦手とするところでもあったので、余計に大変でした。そういうサッカーをするための、キャンプでのきついフィジカルトレーニングだったと思うんですけど」

――その年、2次キャンプの高知に入って、藤田征也選手(現徳島ヴォルティス)に柳下監督が「もっと間合いを詰めろ、足を出したらボールに触れるくらいまで」と言っている場面が印象深いです。その前のシーズンは、守備でそこまでは要求していなかったので。

「ああ、そうだったんですね。そこは、俺は前の年との比較はできないけれども、何かヤンツーさんも感じたんでしょうね。

俺自身、ヤンツーさんとは磐田でも一緒にやってますけど、とにかくキャンプ中は新潟でのやり方を吸収しないといけないし、選手の特徴も理解しないといけなかったから、いろいろ考えながらでした。けっこう、いっぱいいっぱいでやってましたね」

――まずは走らないといけなかったし。

「とにかくフィジカルトレーニングが、きつくて長かった。そもそも新潟は、キャンプ自体が長い。その期間の俺は、めっちゃ口数が減ってたと思いますよ(笑)」

――そして迎えた開幕戦。アウェイのセレッソ大阪戦でした。

「最後、決められて負けましたけど(●0-1)、印象的な試合でしたね。間違いなくみんな体が動いていたし、逆に、『セレッソ大丈夫?』っていうくらい、相手は動けてなかった。『あ、これが俺たちがやって来たキャンプの成果なんだな』と手応えを感じ取れる試合でした」

――試合の狙い目は?

「そこまでは覚えてないな。とにかく、自分たちは走力を生かして常にハードワークして、ということだったと思います。自分の中では、開幕戦だから思い切りやろうというイメージで。なかなか点を入れられなくて、ずるずる行って、最後にやられちゃいましたけど、自分の中では全然、悪くなかった。『これをやり続けていたら結果が出る』という感覚がありました。

ぎりぎりで残留した年の次のシーズンの開幕戦って、けっこう大きい意味を持つ試合で。ぎりぎりで残留した12年から13年の開幕戦でああいう形で負けると、正直、引っ張って来なくてもいい、前のシーズンのイメージを引きずっちゃったりもする。選手もそうだし、見ている人もそうなんですけど。

でも俺は前のシーズン、新潟にいなかったし、開幕戦でプレーした新加入選手も何人かいて、前の年の悪さは知らないわけで。俺なんかはむしろ、キャンプで新潟の選手と一緒にプレーしながら、『こんなにいい選手がいっぱいいるのに、去年は苦労したんだ』と驚いたくらいです。

それが良かったのかな。前のシーズンの苦しさを知らない選手が何人かいたことで、チームも悲観的にならなかったのかな、と」

――しかし、開幕から4試合を終えて1分け3敗。嫌なムードになりかけたのでは?

「俺はそれでも悪い感じはしなかったです。確かにそう思う選手もいただろうけど、新潟はまじめな選手が多いから、変にネガティブになるんじゃなくて、やるしかないという気持ちの方が強かった。サッカーの感覚的には悪くなかったわけだし。だから勝つまでやり続けるだけでした。逆に、そこで突然、やり方を変えるなんていう方が、リスクがあったと思います。やるしかない、やり続けていれば、そのうち結果も出るようになるというイメージでした」

▽インタビューの音声をお聞きいただけます▽

(つづく)

【プロフィール】
成岡翔(なるおか・しょう)/1984年5月31日生まれ、静岡県島田市出身。藤枝東高校から2003年、磐田に加入。11年に福岡に移籍し、13年、完全移籍で新潟に加入した。サイドハーフ、ボランチ、そしてFWでたぐいまれなサッカーセンスを発揮し、新潟で最初のシーズンは全34試合に先発出場。在籍した5シーズンでリーグ戦113試合に出場し、10得点を挙げ、17年にはJ1リーグ通算300試合出場を達成した。18年、J3のSC相模原に移籍。19年、J3の藤枝MYFCに加入し、11月5日に同年シーズンでの現役引退を発表した。今年はサッカースクールSKY での指導が主になる。

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