ニイガタフットボールプレス

【躍動の季節】~成岡翔が語る2013年~ Vol.5「選手として、人として、この街で成長することができました」

いまこそ、あの1年の激闘をレジェンドが振り返る――。昨季限りで現役を引退した成岡翔さんが2013年を語るスペシャルインタビュー。最終回は、『ニイガタフットボールプレス』会員のみなさんからいただいた質問にお答えします!

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■心に響いたひとこと

――引き続き、『ニイガタフットボールプレス』会員からいただいた質問です。kuai14さん、男性の方から。「柳下正明監督(現ツエーゲン金沢監督)との一番印象的なエピソードを教えてください」。

「いい方ですか? 悪い方ですか?」

――まず、悪い方からうかがいましょうか(笑)。

「一度、練習中にぶつかったことがあるんですよ。めっちゃ覚えてるんですけど。そのとき俺はフォワードに入っていて。イブ(指宿洋史、現湘南ベルマーレ)が加入したシーズンの出来事です」

――2014年ですね。

「で、俺とイブの2トップで練習しているときに、中盤の選手がボールを持ったから、もらうために裏に動き出したんです。そうしたらめちゃめちゃ怒られて。そうじゃねえだろ! みたいな。

俺、まったく理解ができなくて。だって、それまではボールを持っている選手がフリーだったら、アクションを起こすというやり方だったから。俺もそういうプレーは得意だったし、だから動き出したのに、めちゃめちゃ怒られた。そのときは俺もぐっとこらえたんですけどね。ここで言い返しても何もならないと思って。

だけどやっぱり我慢できなくて。練習が終わった瞬間に、ちょっとヤンツーさんに言ってくる! となったんです。周りの選手には『翔くん、まじやめて! けんかしないで!』と言われたんですけど、いや、納得いかねえ! と。

あらためて話しをしたら、ヤンツーさんに『指宿の特徴はなんだ? 懐が深くて、高さもあるだろう。だからイブの周りにポジションを取って、ボールを受けてほしいんだよ』と言われたんです。

それで俺も理解ができた。最初はつかみかからんばかりの勢いだったんですけどね。サッカーをやってきた中で、一番といえるくらいにキレたエピソードです」

――成岡さんも柳下監督も、真剣に取り組んでいたからこそですね。

「そう思います。特にヤンツーさんは、カーっと頭に血が上っちゃうタイプだから。その場で細かくは言わないけれど、後から冷静に話せば説得力がある。話し合って、俺も納得して終わりました」

――意見の食い違いが解消されてよかった! では、良い方のエピソードを。

「ヤンツーさんは、普段はあまり選手たちとコミュニケーションを取る方ではないんです。それが、俺が調子を崩していたときに、練習中、何でもないときにフッと呼ばれて。『お前はボールを奪われない選手だから。特にこのチームでは、そこが強みだから、簡単にボールを取られるな』と、ひとことだけ言われたんです。

本当に普通のアドバイスだったんですよ。簡単にボールを取られたらだめだぞ、という。だけど、普段はコミュニケーションを取らない監督に、『お前の強みはボールを取られないことだぞ』と言われたとき、ああ、俺はそうだったんだ、と気付くことができたんです。普通のひとことなんですけど、それがすごく印象的で。そのあと吹っ切れて、自分らしいプレーを取り戻すきっかけになりました。

自分を見失うことって、あるじゃないですか。何をやってもうまくいかなくて、自分が何をすればいいのか、わからなくなってしまうときが。あのときの自分がそうで、だけどヤンツーさんのひとことでうまく切り替えることができました。監督って、こういうところが大事なんだな、と思いましたね」

▽インタビューの音声をお聞きいただけます▽

――さりげないひとことだったからこそ、より響いたのでしょうね。

「そうそう」

――監督ということについても、質問をいただいています。やまもんさん、男性の方から。「成岡さん、現役生活おつかれさまでした。いつでも頼れる俺たちの成岡翔でした!  小川佳純さんが引退してティアモ枚方の監督になりましたが、成岡さんが一緒にプレーした中で、『監督になったらすごいだろうなあ』と思った選手はいますか?」。

「うーん、難しい質問だな……。誰だろうな……。今年の頭にB級ライセンスの講習に行ったんですけど、久しぶりに三門(三門雄大、現大宮アルディージャ)が一緒だったんですよ。三門って、頭の回転も速いし、しゃべりもスパスパッと言うことができる。あいつは指導者としての雰囲気を持ってる印象がありますね」

――それ、分かります。

「他にもそういう選手はいますけど、今、パッと思い浮かんだのは三門です」

――新潟時代も、なかなかうまく行かない、難しい状況でありながら、ポジティブさを失わない取り組み方が印象的でしたからね。

「負の部分をあまり表に出さないんですよ。本人は、『そういうのも感じてますよ』と話していたけれど。でもプレーしているとき、基本的にあいつはネガティブな部分を出さない。だから監督になっても、ネガティブになる必要はないと思ってやれるタイプだろうし、だけど言うべきところでは強く言えると思う。監督、指導者として持っていなきゃいけないものを、すでに備えているんじゃないかな」

■理想とする指導者像

――指導者について、成岡さんへの質問もきていますよ。さとっちさん、女性の方から。「先日、某インスタライブでコメントされていましたが、『B級ライセンスのレポート書き中』とのこと。将来的にどのカテゴリーの監督になりたいですか?」。

「ああ、達さん(田中達也)とゴメス(堀米悠斗)のインスタライブですね(笑)。たまたま見たときに、ズミが監督をやってるっていう話題だったんですよ。達さんが『B級ライセンスを取るのが一番、大変』と言っていたから、まさに今、俺もレポートを書いてますってコメントしたんです」

――レポートは大変ですか?

「すべての課題が出されたわけではないんですけど、何を書けばいいか分からなくて。まだ全然、手を付けていません(苦笑)」

――ステイホームで、たっぷり時間はありますよ?

「そう。いくらでもできるはずなんだけど……。なかなか難しいんですよ。これからどんどん新しい課題が来るから、早めにやりたいんですけどね」

――ライセンスを取得して、将来、監督をやるという夢があるのですか?

「今は、そこまでないですね。監督という縛りはなくて。俺は、いい指導者になりたいんです。監督と指導者の違いを、感じ始めているところです。

監督には、チームを勝たせるという大事な役割があるじゃないですか。その過程で選手にサッカーを教えることもあるけれど、どうしても最優先されるのはチームが勝つことだと思うんです。

だけど、これは俺の勝手な解釈なんですけど、指導者には『もっともっといいプレーができるように、この選手を、こう育てたい』というイメージを持っていて。

だから、どちらかというと、監督よりもコーチになりたいんです。チームの中で、コーチは一番、細かいところまで触れられる立場だと思うから。

もちろん監督も、責任がある分、自分が考える通りに物事を進められるし、大きなやりがいを感じられると思います。でも今の俺は、選手ひとりひとりがうまくなっていく過程を、より間近で見たいという思いが強い。そちらに魅力を感じ始めています」

――それでは、最後の質問です。新潟のテオファニスゲカスさん、男性から。「なぜそんなに新潟を好きになってくれたんですか??非常に嬉しいです!!」

「新潟に暮らしていて、すべてが良かったからです。新潟の生活は、選手として現役中、最も充実していた理由の一つですね。それから俺は、29歳になる年に新潟にやって来て、それまで10年くらいプロでやってきたんですけど、恥ずかしながら自分がプロサッカー選手としてプレーする意味を理解したのが、新潟だったんです。

話がそれるかもしれないですけど、印象的なエピソードがあって。ある試合の後、俺はそのときけがでメンバー外だったから、終わってそのまま車で帰っていたんです。その途中、ユニフォームを着ていた女子高生2人が自転車で信号待ちをしていて。で、普通のおじさんが自転車で横付けして、俺は車の中だから会話は聞こえてこないんですけど、おそらくおじさんが、『今日、アルビ勝った?』みたいなことを聞いたんでしょうね。そうしたら、女の子たちが『負けました』みたいに首を振って、おじさんがガクッと頭を下げた。

それを見た瞬間に、ああ、俺はこの人たちのためにやんなきゃいけないんだな、もっと責任感を持たなきゃいけないんだな、と感じたんです。それまでは、自分が結果を出すんだ、日本代表に入るんだ、と自分主体だったけれど、応援してくれる人のためにとか、チームのために、と変わることができた時期だったんですね。新潟でできた友だちも、みんなアルビをすごく応援してくれるし、愛してくれている。そういう地域性に、一気に心をつかまれました」

▽インタビューの音声をお聞きいただけます▽

――もちろん、それまでプレーした磐田でも福岡でも、そういうサポーターはたくさんいらっしゃるけれども、という。

「すごく身近に感じられた街が新潟でした。あとは文化とか食とか、全部が俺に合っていたという」

――ど真ん中でしたからね。

「そうなんです。そういうのもあって」

――そんな新潟サポーターのみなさんに、あらためてメッセージをいただけますか。

「新潟で過ごした日々が、選手としても1人の人間としても僕を成長させてくれて、本当に感謝しています。そういう力が今後もずっと続いてほしいです。

今、新型コロナウイルスの影響でサッカーができてなくて、どのチームも本当に苦しい状況だと思うし、これからどうなるかも分からないですけど、これからもみなさんのその力でクラブを支えていただければ。それが、また新潟を盛り上げることにつながると思います。ぜひみなさんの力で、アルビレックス新潟と、Jリーグと、さらに大きくいえばサッカーを支え続けてください」

▽インタビューの音声をお聞きいただけます▽

(了)

【プロフィール】
成岡翔(なるおか・しょう)/1984年5月31日生まれ、静岡県島田市出身。藤枝東高校から2003年、磐田に加入。11年に福岡に移籍し、13年、完全移籍で新潟に加入した。サイドハーフ、ボランチ、そしてFWでたぐいまれなサッカーセンスを発揮し、新潟で最初のシーズンは全34試合に先発出場。在籍した5シーズンでリーグ戦113試合に出場し、10得点を挙げ、17年にはJ1リーグ通算300試合出場を達成した。18年、J3のSC相模原に移籍。19年、J3の藤枝MYFCに加入し、11月5日に同年シーズンでの現役引退を発表した。今年はサッカースクールSKYでの指導が主になる。

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