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ニイガタフットボールプレス

【飛翔の季節】~松尾直人が語る2004年2ndステージ~ Vol.1「故郷の和歌山に、僕が還元できるものは何だろう?」

【飛翔の季節Vol.1】レジェンドが語る、あのシーズン。第三弾は、アルビレックス新潟が初めてJ1で戦った夏、ヴィッセル神戸から期限付き移籍で加入した松尾直人さんが登場。2004年セカンドステージを語ります。まずは松尾さんの近況から。6年前に現役を引退し、故郷の和歌山に戻った松尾さんは、子どもたちにサッカーの楽しさ、素晴らしさを伝える日々を送っています。

■スクール、そしてチームを立ち上げて

――たいへん、ご無沙汰しております。まずは近況から聞かせていただけますか? 故郷の和歌山市で、カンテラーノというサッカースクールを運営されているんですよね。

「僕は最後、社会人のチーム(地域リーグのFC大阪)で終わったんですけど、現役を引退して、出身地、地元に対して自分が還元できるものは何だろうと考えたときに、なるべくたくさんの子どもたちにサッカーを教える環境をつくるのはどうかな、と思い始めたんです。その中で、スクールを立ち上げようということで。2014年のことですね」

――カンテラーノが対象とするのは?

「園児と小学生です」

――サッカーの楽しさを教えるというところからスタートして、6年経った今は、どのような規模になっているのですか?

「まず、スクールを立ち上げたんですけど、子どもたちそれぞれ、バラバラにチームに所属することになって、なかなかカンテラーノとしての成果が目に見えない。対外試合をやるわけではないですから。僕もそうだし、子どもたちもそういう状況で。

それで、チームはチームとして必要だなというのを感じたので、3年前に、また別のNPOを立ち上げました。こちらは実際にチームとして対外試合をしたり大会に出たり、小学生年代に中学生年代も加わって活動しています」

――どんどん活動が発展しているわけですね。3年前に立ち上げたチームは何という名前ですか?

「FCジュンレーロといいます」

――スクールのカンテラーノと、チームのジュンレーロ。それぞれ名前の由来は?

「カンテラーノは、僕はもともとバルサ(FCバルセロナ)のことが好きやったんで、スペインで育成組織を意味するカンテラのイメージですね。選手が育って巣立っていく場になってほしい、という思いから付けました。ここで育った子どもたち、というイメージで」

――和歌山の子どもたちが、まずはサッカーに触れて、好きになる場を提供する、という。

「そうです」

――チームのジュンレーロは?

「これは、漢字の『巡礼の路(みち)』から来てるんですよ。和歌山には熊野古道があるんでね」

――いいですね!

「ピッチを聖地にたとえて、一生懸命トレーニングをして試合のピッチにたどり着いてほしい、修業の道、という思いを込めてます。それで、『巡礼路』のカタカナにしました。

ジュンレーロをネットで調べたら、一個もヒットしなかったんですよ。『これ、めっちゃいいやん』となって。巡礼だから、和歌山っぽいところもあるし、サッカーにも関係あるし」

――熊野古道の熊野本宮大社といえば八咫烏(やたがらす)、八咫烏といえば日本サッカー協会のエンブレムにも用いられていますからね。現在、ジュンレーロはどういうレベルで活動しているのですか?

「こちらは園児、小学生に加えて、中学生のチームも活動しています」

――カンテラーノとは、直接的な結びつきはないのですか?

「直接、関係はないんですけど。結局、どちらも僕がやっているので、見え方としては同じ組織に見えるかもしれないですね」

■和歌山の子どもたちに向き合う

――着実に大きな組織になっていますね。

「スクールは、あまり活動場所を増やせてはいないんですよ。実際、活動するのは体育館とか、場所も限られてくるので。チームの方は園児から中学生まで、現在トータルで100人くらい選手がいます。和歌山であれば、これだけの規模のクラブチームは、ほかになかなかないかな、と思います。ここからは内容と、結果を求めていかないといけないな、と思っています」

――今回のインタビューの相談で電話した際にも、「和歌山のサッカーを盛り上げたい」とおっしゃっていました。

「ひとつには、現役を引退した自分の生きていく術(すべ)だというのがあります。それから根本には、和歌山のサッカーが周りから取り残されているという危機感を、僕はずっと感じていて。地元のサッカーの発展と、自分の仕事として成り立たせていくこと。そのどちらもかなえたいというのが、今、自分がやりたいことなんです」

――最初はゼロからのスタートで、6年でそれだけの規模になったということは、いろいろな助けを得ながらだったのでしょうね。

「そうですね。賛同や、批判も受けながら(笑)。まあ、真面目な話、賛同して支えて下さる人がたくさんいます。ありがたいことに。そうじゃないと、和歌山のサッカーを変えられないと思います。支えてくれる人たち、切磋琢磨するライバルたち、いろいろな人がいないと。純粋に競争がないと、なかなかいい形でのレベルアップはできないと思います」

――そこに来ての、新型ウイルスによる現在の状況です。誰も予想できないことでしたが。

「1カ月ほど何も活動できない状況でした。先日、緊急事態宣言が解除されたタイミングで、ジュンレーロの中学生たちは少しずつ活動再開させましたが、小学生もチームで練習しようということには至りませんでした。6月、学校が再開されるタイミングで、小学生のチームやスクールも再スタートする予定です」

――今、子どもたちは特殊な状況でサッカーをしなければならないわけですが、再開後の指導方針をどう考えているのですか? 大会が中止になったり、目標を持ちづらい状況もあります。

「大人として、子どもたちにどう伝えればいいのかを考えています。

高校野球の甲子園が中止になったとき、ニュースを色々見ましたけど、監督たちが言葉に迷っているように感じました。それは、すごくわかります。だって、無責任に言えないじゃないですか。『努力は無駄にならない』とか。

もちろん、言葉として正しいんですけど、でも『努力をしても、甲子園出れないやん』って子どもたちに言われたとき、それにどう答えればいいのか。本当に難しい。けど、そういうありきたりな言葉しか見当たらないというところもある。ずっと考えているんですけどね。

子どもたちも、モチベーションを持ちづらいと思います。僕が指導しているのは小学生や中学生だから、まだまだ先は長いし、将来もある。だから彼らからすると、後から振り返っても、そんなにたいしたことのない、たった数カ月の出来事なのかもしれません。子どもたちが楽しみにしている試合や大会ができないことが、どう影響するのか。僕らも活動を再開してみないとわからないところがありますね。もしかすると、県が何か臨時で大会を催すかもしれないし、あるいは自分たちで(大会を)主催するとか。世の中の流れをしっかり見ながら、やっていきたいです」

――スクール、そしてチームで、直人さんの立場は監督になるのですか?

「僕は全体のコーチみたいな感じで中に入っているんですよ」

――ということは、子どもたちには『松尾コーチ』と呼ばれるんですか?

「そうです。各カテゴリーに、それぞれ監督はいて。僕はスクールもチームも、園児から中学生まで、みんなを指導したいので」

――そんな松尾コーチにも現役時代があった、という話をうかがっていきたいと思います。

「ほんま、そうですよ。子どもたちにしたら、『松尾コーチ、ほんまにJリーガーやったん?』って感じでしょうから(笑)」

(つづく)

【プロフィール】松尾直人(まつお・なおと)/1979年9月10日生まれ、和歌山県和歌山市出身。近大付属和歌山高校から98年、神戸に加入。アルゼンチンのヒムナシアへの留学(99年)、C大阪への期限付き移籍(02年)を経て、04年7月からシーズン末まで新潟に期限付きで加入した。05年、神戸に復帰し、06年FC東京に移籍。07年4月、練習生として練習参加していた新潟と契約。前回在籍時は3バックの一角としてのプレーが主だったが、左サイドバックをメインに右サイドバック、センターバック、ボランチと複数のポジションでチームを支えた。10年、湘南に移籍。12年、地域リーグのFC大阪に移籍し、13年限りで現役を引退。地元、和歌山で14年にサッカースクール、カンテラーノを立ち上げ、17年にはサッカークラブチーム、FCジュンレーロの立ち上げに携わり、テクニカルアドバイザーに就任。地元の子どもたちにサッカーの楽しさ、素晴らしさを伝える日々を送る。

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