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上田西 新指導体制がスタート① 原公彦総監督(前監督)インタビュー

【高校】
上田西の指導スタッフの変更が昨年12月にあり、原公彦監督が総監督となり、吉崎琢朗コーチが監督に昇格した。原総監督は、監督在任中の8年間で2度の甲子園出場を果たすなど、上田西を県内で常に上位争いできるチームに育てた。時には周囲が驚くような選手起用は原総監督の真骨頂。不動の強豪校はいかにしてできたのか。原総監督と8年間を振り返った。

総監督に就いた原教諭

 

―昨秋の県大会を制し、監督8年という決して長くはないタイミングでの交代は
原総監督(以下原) 就任時から、個人的に10年一区切りというイメージを持っていました。今回8年ですが10年とあまり変わらない。基本的に一人の人があまり長くやるのは、組織にとっていいことではないと思っていました。
―もう1回甲子園に出て花道を飾って、という思いはなかったですか 
 去年のチームが、生徒募集的にも能力的にもすごくバランスの取れたチームでしたが、このチームで結果が出ないのは自分が駄目なのかなという感覚がありました。
―軟式から硬式野球部を任され戸惑ったことは
 スタイルとして戸惑った部分はなかったですが、生徒の意識が全然違うので、その意識を汲むまでに半年かかってしまいました(最初の夏は2回戦敗退)。軟式との技術的な大きな隔たりは感じなかったですし、戦術的には軟式をやったおかげで引き出しも増えました。
―2年目の夏に初の甲子園出場を果たしました。早めに結果を出せたのは大きかったのでは
 それはいいチームを引き継がせてもらった、(前任の)山寺先生や齋藤さんへの感謝しかないですよ。山寺先生に(甲子園世代は)県内一の素材だからお前にとってもチャンスになるから、と話しをされていました。軟式のときは0からのスタートで6年ぐらいかかりました。
―その2年後には2度目の甲子園に出場しました。優勝チームの共通項はありますか
 まずはピッチャー。信頼できるピッチャーがいたということですね。1回目は複数(浦野、柳沢ら)いたので本当はもっと上まで行かなければいけなかったです。2回目は一人(草海)しかいませんでしたが、ずば抜けていました。
―以前、決勝に残れば何とかなる、と話されていましたが、決勝特有の戦いがあるのでしょうか
 ただ、(18年夏は)負けたでしょ。決勝に行くチームは強いに決まっているので、余計なことをする必要がないです。軟式のときに強いチームなのに余計なことをして負けたという苦い思い出があるんです。4年目のときに初めて決勝に行って、余計なことをして負けました。それで次の年に何もしなかったら、決勝で勝ったんです。
―ただ、言葉通りに本当に何もしなかったわけではないと思いますが
 決勝に行くだけのチームは信頼していますし、やろうとしていることは共有できています。だから余計に奮い立たせたりする必要はありません。
―夏の大会は2年目以降、常に8強以上に残りました。その中で下級生を積極的に起用してきました
 ベスト8に行かないと、特に夏はテレビ中継もなくなってしまうので。8に進むと空気も変わるので、それを感じさせてあげたいです。夏に限らず、春も秋も最低8までは行かなくては駄目というつもりでチームを作るとなると、秋が一番難しいです。そうなると夏に下級生が入っていないとセンバツを狙えないんですよ。そこまで考えると、下級生がはまったチームをつくりたいということになります。
―ただ下級生の起用はリスクも伴います
 まあ、批判されても責任を取るのは私ですから。
―さすがですね
 それよりもコンスタントに応援している側にとっては今年もチャンスと思ってもらった方がいいでしょう。
―同じ力だったら上級生より先のある下級生を起用しますか
 下級生ですね。ただ新監督になって別にルールみたいなものはないので、違う面が出てくればそれはそれでプラスになると思います。
―思い描いた通りに進んだ大会、試合はありますか
 97回の大会ですね(2度目の甲子園)。あれは全部思い通りにいきました。
―(2年生エース)草海君が軸で投げたということですか
 そして彼が投げないときは圧倒的に打って勝つ、というのができていました。
―逆に思い通りにいかなかったのは
 18年の秋ですね。センバツに行く予定でいろいろ話を進めていたくらい自信を持って臨んでいました。それで行けないので、次の夏に行けなくても仕方ないです。(北信越準決勝の啓新戦)3-0で粘れないチームをつくってしまっていたので。(先発のエース)阿部を降ろすのに、何の迷いもなかったのに負けたのは、指導者としての力量はここまでだと、限界を感じた試合でした。
―潔いですね。これで総監督になりました。どんな役割になりますか
原 引き続き投手は見ます。あと寮監も続け、選手募集も担当します。そして監督の邪魔をせず、学校としてできることでフォローしていきたいと思います。

<はら きみひこ>
上田市出身の48歳。上田高ではエースで2年秋県優勝。中央大卒。軟式野球部監督6年で2度全国出場。12年2月に硬式野球部監督に就任。13、15年夏に甲子園出場し1勝。この間、春秋の県大会で4回優勝、7回北信越大会出場。地歴公民教諭。

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