【BCリーグ】信濃グランセローズ地元の星、船﨑星矢選手が引退
信濃グランセローズで5年間プレーした船﨑星矢さん(23)が、今シーズンでの引退を決意した。非凡な打撃センスと信濃の地元、中野市出身で人気選手だったが、故障に泣かされた野球人生でもあった。完全にユニホームを脱ぎ、新たな道を模索する船﨑さんに、その心境を聞いた。
↑ 今季ユニホームを脱いだ船﨑さん
―5年間お疲れさまでした。年齢的にはBCリーグの規定でもう少しプレーできる中での引退
船﨑 けが持ちで体がボロボロでした。今年は結果も出ませんでし、区切りかなと思いました。
―結果が出なければ引退、という思いで臨んだシーズンでしたか
船﨑 毎年それは思っていました。小学生ころから全身どこでもつる癖があり、肉離れもしょっちゅうしていました。打席に入っているときもよくつっていました。腰痛は、遠征のバス移動が重なるにつれ、どんどんひどくなってきました。
―今シーズンの打撃成績(28試合、9安打、1割7分3厘)は不本意だったと思いますが
船﨑 去年やった足首をまたくじいて、1週間の離脱もありました。打撃のバランスも試行錯誤しましたが、しっくりこないままでした。
―3年目がキャリアハイでした(65試合、68安打、10本塁打、2割9分3厘)
船﨑 軽く振ってもホームランになり、すごくはまっていました。(先輩の)新村涼賢さんにフォームを指導してもらい、それがうまくはまったシーズンでした。
―それでもNPBから声がかかりませんでした
船﨑 外野手で足があって、もっと打てる左打者はリーグにもいましたが、なかなかNPBには行けませんでした。飛び抜けた長打力といったものが求められるのかもしれません。僕自身アピールする部分がちょっとあいまいになり、盗塁数も増やせないままになってしまいました。(ヤクルト育成2位指名の)赤羽は飛ばし方を分かっていますし、その辺がずば抜けていました。
―地元の応援は大きかったのでは
船﨑 自宅は車で7分くらいのところ。近所の方から、「次、どこで試合?」「見に行くね」とよく声をかけていただきました。すごく応援され、力になりました。
―今後はどうしますか
船﨑 エージェントに相談して就職先を探している状況です。
―エージェントって?
船﨑 現役のときにセカンドキャリアセミナーでも来ていただき、適性診断もしてもらいました。専門的な仕事が合っていると言われましたが、まさに自分でもやりたいものでした。
専門的とは?
船﨑 職人的なことが合っていると診断では出ていました。スポーツ分野にこだわりはありません。
―信濃でプレーした5年間は
船﨑 いろんな面で成長できました。野球以外でも挨拶など学べた、いい5年間でした。
―野球界への復帰は
船﨑 どうでしょう?後輩の指導も楽しそうですね。
<ふなざき せいや>
1997年4月、中野市出身の23歳。中野小で軟式のジュニアジャイアンツ。南宮中では中野シニアで3年時は全国大会の林和男杯で優勝。松商学園高3年春のセンバツ甲子園に3番レフトで出場。信濃では1年目から67試合に出場し打率2割5分でレギュラーに定着。広角に打ち分けるシュアな打撃と、50㍍5秒9の足が武器。右投げ左打ち。175㌢、78㌔。
↑ リーグチャンピオンシップ準決勝で安打で出塁
↑ 打撃好調だったキャリアハイの3年目(18年)
↑ 1年目からレギュラーに定着(16年)
↑ 松商3年春のセンバツに3番レフトで出場した船﨑さん。相手投手は県立岐阜商・高橋純平(現ソフトバンク)