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【選抜・上田西】チーム支えるOBスタッフ② 大塚雅也コーチ

13年に同校初の甲子園出場を果たしたときの主将が大塚雅也コーチだ。聖地を知るOBが、
初のセンバツ出場をサポートした。

↑ 母校に戻り3年目の大塚コーチ

―正式にセンバツが決まりました
大塚コーチ(以下大塚) とりあえずほっとしました。10月から長かったので、これがセンバツに行くことかと思いました。

―これからどんなことに気をつけますか
大塚 まず、コロナ禍で甲子園をやるリスクがあるので、勝ち負けよりもまずは無事に甲子園に行って試合をすることに価値があると思います。一人も感染者を出せない。相手チームにも関わることですので。うれしい半面、気が重い部分もあります。

―大学野球を経験し、母校にコーチで戻った当時、感じたことは
大塚 いろいろと足りないところは見えましたね。

―コーチはどんな役割だと思いましたか
大塚 試合に出ていない子たちのモチベーションを上げることや応援団の大切さを伝えたいと思いました。そこに寄り添えなかったので、あと一歩で甲子園に届かなかったということかなと。自分はサポートメンバーに助けられたので、その大切さを伝えてあげたいです。ただ、控え選手を甘やかすことはないです。試合に出なくても、大切なことはあります。

―大事な視点です
大塚 センバツ決定後のマスコミの写真撮りでも、気になるのは後ろにいる子です。ミーティングをしても、後ろに隠れる子を気に懸けていますね。

―コーチの仕事は
大塚 冬は全体を見ています。その中でも気持ちが向かない子を引っ張ったりします。監督と細かく役割分担はしていませんが、バッテリーは大学でも学んできたので、そこは責任があると思っています。あとはトレーニングが自分でも好きで、冬に入る前に1年生にどうやれば体重が増えるのか、タンパク質の摂取タイミングや栄養面など基本的なことを指導しています。

↑ 選手にトスを上げる大塚コーチ

―ブルペンには入る?
大塚 ブルペンでボール受けたり、シート打撃でマスクをかぶったりもします。

―シーズンに入っての指導は

大塚 B戦を見ますが、意味のあるB戦をやらないといけないと思っています。Bは試合に勝った負けたではなく、Aに行ったときに対応できるように、つなげることをやらないといけません。Aに行ったらここができないと駄目だぞーと伝えながらやっています。

B戦のさい配はコーチ一任?
大塚 投手については、吉﨑監督からだれだれを使ってほしいと事前に言われることもあります。後は発掘も含めて起用します。

―OBとしてどんなチームを期待
大塚 代によってカラーはありますが、仲がいいというか、そのへんは大事にしています。高め合ったり、言い合ったり、そこは時代と関係ありません。そこはうちの良さで、もっともっと良くなってほしいです。試合に出ていない子たちも一緒にやるというのが大事です。

―大塚コーチはレギュラー街道を歩んできました
大塚 現役時代はサポートメンバーに助けられましたね。出ていない子たち次第というか。大学でもそうでした。そういう仲間を大事にしてあげないといけません。普段のコミュニケーションとか、こいつらならついていこうというAチームになってほしいです。

<おおつか まさや>
1995年8月、上田市生まれの25歳。丸子北中では軟式野球部。上田西高では主将を務め、2年秋に北信越ベスト4、3年夏は同校初の優勝で甲子園出場(1回戦で木更津総合に5―7で敗戦)。8番捕手で出場し2安打2打点。新潟医療福祉大でも正捕手で主将。保健体育科。

▼高校・大学時代の大塚コーチ▼

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