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【コラム】「野球一考」WEB版 「大きな『間違い』」 赤池行平

【コラム】「野球一考」WEB版
東京国際大学専任講師 赤池行平

年が明けてから間もなく、桑田真澄氏が古巣ジャイアンツのコーチに就任するということが発表された。各方面からの反響は大きく、2年続けての日本シリーズの大敗からのチーム再建に向けて、好意的な意見が大半を占めた。

現役引退から各地で講演、指導活動などを行い、また大学院での研究活動で、指導者に必要な理論的な裏付けも着々と蓄えていたことから、メディアではこぞって「理論派」という肩書で取り上げられている。

桑田氏のコーチ就任を否定的に捉える意見はほとんど無いものの、キャンプ開始前には「桑田氏と〇〇コーチの衝突の可能性」などと取り上げられ、面白おかしく書かれたりしていた。

さらに驚いたのは、「あまりに理論的な指導者に選手がついていけるのか心配」などといった、私からすれば「おいおい、プロだろ。そんなことあるのか?」と笑いたくなる意見まであった。よほど野球界は理論を持たない人が現場にいるのか、と疑いたくなる発言であった(現場経験がある私からすれば、思い当たる節は大いにあるが…)。

指導者になるからには勉強するのが当たり前なのであるが、不思議と野球界はそうではない。強いチーム、名の知れた指導者はこうだからと言って、それをまねすれば事足れりという考え方から脱却できないため、桑田氏のように体の構造のような基本的なことから学んできた人が指導者になるだけで、ビックリしてしまうのだろう。

ある評論家は、「大学院で勉強すれば強くなるなら、東大は毎回優勝するはずだ」などど、皮肉交じりに言っていたが、大学院で学んだことを現場でそっくりそのまま教えるほど、桑田氏に限らず、大学院で学んだ経験がある者のレベルは低くない。

もう一つ、桑田氏のコーチ就任に関するニュースを見ていると、一般的に大きく勘違いされていることがある。それは「科学的なトレーニング」ということに対してである。

おそらく、評論家の方々を含めほとんどの方々が、「科学的」といった言葉を聞くと、「短い時間で、比較的楽に済ませる」という意味に捉えるのだろう。メディアに書かれる桑田氏の評価記事を読むと、記者の方々でもそう考えていることが明白である。

私が東京国際大学野球部のコーチに就いた2007年、それまでの同大の野球部は同好会のような雰囲気で活動していたため、当然練習内容も軽いものだった。

私は強い野球部にするためにコーチを引き受けたので、そのための練習を根拠を持って実施したのだが、「その気もなく入部していた」当時の学生たちは、ちょっとキツい練習をさせるたびに「赤池さんはトレーナーだって聞いていたから、練習は理論的・科学的かと思っていたけれど、話が違うじゃないですか!」というブーイングの嵐。

つまり、彼らは「科学的・理論的なトレーニング」は、「楽な」トレーニングだと勘違いしていたのである。桑田氏のコーチ就任に、上に述べたような皮肉交じりのコメントをする大人の方々は、根本的な考え方が2007年当時の東京国際大学の野球部の学生と変わらないと感じる。

理論的な裏付けがあることを実施すると、「根性」や「気合い」に逃げ道はないので、逆に数倍キツいことになる。

私はフリーランスでパーソナルトレーナーをしていた経験もあるが、クライアントが望んだ結果が出ない場合、「根性」・「気合い」に逃げることはできなかった。とにかく、あらゆる策を講じて、故障をさせずにクライアントの望む結果に近づけないといけないのである。

ちょっと結果が出ないと、「根性」や「気合い」が足りないと言って片づけるのは、指導者の逃げであり、それこそ選手を甘やかしているとしか言えない。

ここ数年、メディアに意見を取り上げていただく機会が増えたが、そこで私はよく「野球を志す若者には、まず野球を教えるべき」と書いている。そう言うと必ず、「いや、野球以前にまずは人間としての教育をすべきだ」という意見をいただく。

確かに学生のクラブ活動では、そこが大事であるが、私は「うまくなろうと努力するその過程に、人間形成に必要な要素が含まれている」と信じて疑わない。うまくなろうと思ったら、まずは練習しなくてはいけない。

しかもその練習は、うまくなるために内容が問われる。何も考えずに、一通りこなしておけばいい的な練習では、たまに勝つことはあっても続かないだろう。

しかも、本当に目的を達成するためには、選手だけではなく指導者の「フィードバック」が必要になる。普段の練習を計画し、改善すべきところを探る姿勢が求められる。「これをやれば絶対」という魔法のような練習などないのだから、常に修正すべき点を気にしていないといけない。

「きちんとしろ」と怒鳴っておいて、自分がきちんとしていない大人には、いくら最近の「出来た子供」でも言うことは聞いてくれない。逆にちゃんとした選手ほど、そういう指導者を見抜く目はあるので、なめられるのが関の山である。

桑田氏のジャイアンツ投手コーチ就任に関する記事を見ながら、まだまだ日本のスポーツ界は道半ばであると感じた。スポーツに限らず、指導する場面では、その人の「生き様」が如実に表れる。数々の試練を乗り越え、勉強を重ねてきた桑田氏のような指導者が、今後もスポーツ界に増えていくことを願うばかりである。

<あかいけ こうへい>
1968年、長野市生まれ。長野高2年春に甲子園出場。慶大ではセカンドとしてリーグ優勝3回、大学日本一1回。セガサミー野球部トレーニングコーチを経て、東京国際大学野球部コーチ。2011年には全日本大学選手権で4強進出。プロ、社会人野球界に進む選手を育成。2016年にコーチを退任、同大学専任講師。nines本誌でコラム「野球一考」を連載中。

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