【ユナパな話】VOL.25「アルゼンチンのお勉強(後編)」(取材・構成:西部謙司)
●ラ・マキナ
アルゼンチンは第1回ワールドカップの優勝候補でした。ワールドカップといえば最多5回優勝のブラジルですが、当時の南米の強国といえばアルゼンチンとウルグアイ。決勝はウルグアイに敗れて準優勝でした。
1940年代に「ラ・マキナ」と呼ばれたリーベルプレートは史上最強クラスのクラブチームといわれています。CFのアドルフォ ペデルネーラはいわゆるゼロトップだったようです。「ファルソ・ヌエベ(偽9番)」はペデルネーラからポジションを奪ったアルフレード ディステファノに受け継がれ、ディステファノに憧れたヨハン クライフが再現し、クライフ監督下のバルセロナでミカエル ラウドルップがリバイバル、それがリオネル メッシにつながるわけです。
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