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インタビュー|海を渡った指導者たち〜星出悠(グローバル・セブ選手兼任コーチ)前編

元記事:http://www.footballedge.jp/archives/6781

掲載日:2018年6月22日(フットボールエッジ)

photo via global cebu fc

筆者が星出悠という日本人選手を認識したのは、2012年に読んだ一冊の本「越境フットボーラー」だった。

“トリニダード・トバゴ四冠の男”として登場した星出(本人によると実際には四冠ではなく六冠)が、アメリカの下部リーグを経て、カリブ海の島国に渡って活躍しているという。英雄ドワイト・ヨークを輩出した小さな島でプレーする日本人選手がいることがあまりにも印象的で、本に登場する他の選手たちの記述をほとんど覚えていない。

星出はその後、インドを経てフィリピンに活躍の場を移す。筆者が「越境フットボーラー」を香港で読んでいた時には、すでに名門グローバルFCに移籍していたのだ。カリブ海はあまりにも遠いが、南シナ海なら目と鼻の先だ。いつか話を聞きに行こうと思っていたのだが、実際に会うまでに6年もの月日を費やしてしまった。

現役選手を続けながらも、チームの要請により指導者としてのキャリアを開始した星出が、約束の場所に姿を現した。フィリピンフットボールの聖地、リザールメモリアルスタジアムから程近いカフェで行なったインタビューを、前後2回に分けてお届けする。(取材・文=池田宣雄【マニラ】)

photo via global cebu fc

◆トリニダード・トバゴ六冠の男の新天地はフィリピンの名門チーム

グローバル(現グローバル・セブFC)と契約したのは2011年の9月でした。ちょうどリーグ戦の日程が終了して、カップ戦が始まるタイミングでの加入でした。当時のフィリピンはUFL(ユナイテッドフットボールリーグ)が開催されていて、外国人選手の登録が無制限だったので、チームの選手は外国人の方が多かったです。

グローバルはプロチームですが、リーグにはセミプロやアマチュアのようなチームもありました。チームの練習も週に3回くらいしかやっていなかったのですが、それでもフィリピン国内では勝てていましたね。まだUFLが始まって間もない頃で、外国人選手と外国でプレーしていたフィリピンハーフの選手が、各々の個の力でゲームを組み立てていたような状況でした。

僕はJFLのチームで社員選手としてプレーした後に、アメリカの下部リーグとトリニダード・トバゴのチームを渡り歩きました。その後、カップ戦だけの短い契約でしたがインドでプレーしてから、フィリピンにやってきました。今年で7年目になりますが、この7年でフィリピンのサッカーを取り巻く環境は、だいぶ良くなりましたけどね。

当時は、チーム練習の量も質も物足りなくて、コンディションの維持に不安を抱えていました。個人が身体を動かせる場所や施設もなかったんです。そんな時にMAJ(マニラオールジャパンFC)という日本人駐在員の方々のサッカーチームと出会いました。2012年だったと思います。

グローバルの試合や練習がない時に、MAJの練習に参加させてもらって、そのかわりにコーチをするという形でした。当時、MAJには監督さんがいたのですが、僕の経験をリスペクトしてくれたので、練習メニューからやらせてもらうことになりました。また、グローバルのボスも、僕のMAJへの関与に理解を示してくれました。草の根レベルの底上げ、ということで。

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