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インタビュー|名門大学体育会サッカー部主将が26歳で海外挑戦した物語【前編】転載

元記事:https://equalizer11.com/2018/05/23/philippines-football-australia/

掲載日:2018年5月23日(EQUALIZER)

photo by football philippines

筆者が大村真也という日本人センターバックを認識したのは2016年のことだった。2015年にフィリピンのUFLカップを制したカヤFCが、AFCカップ2016への初出場を果たし、香港のチームと同組となったことで、通い慣れた旺角スタジアムでの試合観戦の機会を得た。試合当日の朝にカヤFCに日本人センターバックがいることを知り、知人を通じて香港入りしていた大村とつながり、試合終了後のベンチの裏でほんの数分間言葉を交わすことができた。敗戦を喫した直後に筆者の元に歩み寄るという状況にも関わらず、大村は丁重に応じてくれたこと、そして歩み寄ってきたファンに対しても、流暢な英語で紳士的な態度で接していたことが強く印象に残っていた。あれから月日が経過したが、大村が現在もディフェンスリーダーとしてチームを牽引していることを確認した上で、マニラで取材を受けてもらうこととなった。(フットボールライター 池田宣雄・マニラ)

大村真也

1984年生まれ。愛知県出身。中京大中京高校から中京大学に進学。体育会サッカー部では主将を務める。大学卒業から約3年ほど一般企業に勤めていたが、オーストラリア3部相当のフレーザーパークFCでプレーを再開。2011年途中からフィリピン1部のカヤFCに加入。2015年に国内カップ大会で初優勝を果たし、自身も最優秀選手賞を受賞。翌2016年はAFCカップに出場した。マニラ在住。

photo via malabanan

◆体育会サッカー部主将の進路はスポーツジムの契約社員

中京大中京高校から中京大学に進学しました。基本的にはボランチでしたが、状況に応じてセンターバックもやっていましたね。僕らより少し上の世代がインカレで優勝したりすごかったんですけど、僕らの時はそこまでは行けませんでした。インカレでの最高成績は4位でした。

卒業する時点ではサッカーでの進路はありませんでした。毎年のようにJリーグやJFLに選手を輩出する大学でしたが、自分自身も選手としては難しいだろうなと思っていましたし、監督に相談するような状況ではなかったです。

ただひとつだけ、監督がスポーツジムの関係者の方を紹介してくれて、契約社員として働かないかというお話をいただきました。その会社が小学生向けのサッカースクールをやっていたので、コーチとして採用してくれたんです。

指導は楽しかったですよ。大学でサッカーを専攻していたので、授業でJFAのC級ライセンスを取得していましたし。今では失効してしまいましたが、マニラでも子供たちを指導しています。

当時は、将来何をしようかとか真剣に考えていなかったこともあって、半年くらい経過した頃には、このままスクールコーチを続けて行くのが自分にとってベストなのかと考えるようになりました。楽しいだけで続けて良いのかと。

実際、契約社員という立場でしたので、契約期間の満了を持って辞めることを会社に伝えました。ちゃんと会社勤めをしてしっかりと生計を立てることにしたんです。色々な人に相談したんですけど、中学の時の監督が地元の倉庫会社の役職についておられて、1年遅れの新卒という形で正社員として採用してくれることになったんです。

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