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インタビュー|あとひとつ勝てば日本に凱旋したストライカーの話【前編】記事転載

元記事:https://equalizer11.com/2018/10/24/uesato-takumi/

掲載日:10月24日(EQUALIZER)

photo via ceres negros fc

2018年1月30日、極寒の天津オリンピックスタジアムで開催されたACL2018のプレーオフに、かつてJリーグの舞台に立っていた上里琢文が出場した。このプレーオフを制した者たちが、ACL2018のグループステージに駒を進めるというビッグゲームだ。

 この一発勝負のプレーオフにシードされていたのは、前年の中国スーパーリーグで優勝争いを演じた天津権健だった。名将パウロ・ソウザを招聘して、代表クラスの中国人選手たちを集め、パト、ヴィツェル、モデストを爆買い補強していた金満クラブだ。

 敵地天津に乗り込んだのは、その一週間前に行われたACL予選で、オーストラリアのブリスベン・ロアーを破ったフィリピン王者のセレス・ネグロス。上里はフィリピンリーグでの過去二年間で33ゴールを上げる活躍が認められ、アジアの大舞台を控えていた王者セレスに加入していた。(フットボールライター・池田宣雄【マニラ】)

 上里琢文 Takumi Uesato

1990年生まれ、沖縄県宮古島出身。小学5年の初選出以来、沖縄県トレセンとナショナルトレセンの常連となる。宮古高校時代に沖縄代表として兵庫国体(少年の部)に出場し全国優勝を果たす。高校九州選抜やU-18高校選抜に選出されるなど頭角を現し、2009年にJ1京都サンガに加入。2011年途中からJFLFC琉球、2014年からオーストリアのSVアラーハイリゲン、2016年からフィリピンのJPVマリキナでプレー。2018年にフィリピン王者のセレス・ネグロスに移籍して、ACLプレーオフやAFCカップに出場するなどアジアの大舞台に立つ。現在はJPVマリキナに所属。マニラ在住。

◆フィリピン王者セレス・ネグロスへの移籍経緯

ヴォルテス(現在のJPVマリキナ)でゴールを量産していた頃から、セレスでやってみたいと思っていました。フィリピンでは他を圧倒する戦力で優勝争いしていましたし、セレスに行けばアジアの大会にも出場するチャンスがありましたので。

セレスとはリーグ戦で何度も対戦していたので、僕たちは彼らの弱点を知っていました。なので、ちょっとやり難い相手の得点源として、ヴィダコヴィッチ監督は僕をマークしていたようです。監督とはまったく交流がなかったので、ツイッターで監督のアカウントを見つけてダイレクトメールしてみたら、すぐに会ってくれることになったんです。

このカフェのまさにここのテーブルで(と言って上里は隣のテーブルを指差した)監督と会って、来季はセレスでやりたいと伝えました。シーズンが終わったタイミングで正式なオファーがあって、フィリピン王者への移籍が決まりました。

格下のチームからの移籍だったので、助っ人外国人選手としてはそんなに良い条件ではなかったのですが、僕としてはここ数年の状況から比べたら結構良い条件でした。チーム内での競争は激しくなりますが、リーグを連覇して、アジアの大会ではアジア枠選手として大暴れしてやろうと思っていました。

photo via ceres negros fc

ACLプレーオフの大舞台に立った日本人助っ人

セレスは、ACLの予選1回戦から勝ち進めば本大会に出場できることになっていました。その頃はまだどこのグループでどんな対戦相手になるのか知らなかったのですが、Jリーグのチームと対戦する時に日本に凱旋できることはわかっていたので、絶対に勝ち進むつもりでした。

まずミャンマー王者を敵地で破って、オーストラリアでAリーグのチームを相手に奇跡を起こしました。まだ始動して間もない1月でしたが、次の天津はACLプレーオフが最初の公式戦だと聞いていたので、絶対にチャンスはあると選手たちで盛り上がっていました。

実際に、天津の中国人選手たちとは対等に戦えていたのですが、やっぱり、パトとかヴィツェルとか2得点を許したモデストの3人はピッチでは別格でしたね。彼ら3人に試合をコントロールされてしまって。あとひとつ勝てば日本に凱旋できたわけですから、ちょっと悔しかったですね。

試合の後に知ったのですが、勝てば柏レイソルと同組になってたんですよ。日本に凱旋することは叶わなかったですけど、AFCカップで結果を残せば良いアピールになりますので、すぐに気持ちを切り替えました。

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