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インタビュー|あとひとつ勝てば日本に凱旋したストライカーの話【後編】記事転載

元記事:https://equalizer11.com/2018/10/27/uesato-takumi-2/

掲載日:10月27日(EQUALIZER)

photo via ceres negros fc

2018年10月21日、上里琢文が所属するJPVマリキナは、リサール・メモリアル・スタジアムで行われた国内カップ戦、コパ・パウリーノ・アルカンタラの準決勝で、ダヴァオ・アギラス・ベルマーレに大敗を喫し、今季の全日程を終了した。

 上里琢文の2018年は、まさに激動の一年間だったと言える。アジアの大会に出場するセレス・ネグロスの一員に加わり、あとひとつ勝てばACLの大舞台で日本への凱旋を果たすというところから、契約解除の憂き目に遭った後に、古巣JPVマリキナに復帰してシーズンを終えている。

 ACLプレーオフ敗退後に転じたAFCカップで3ゴール、フィリピンリーグでも4ゴールを上げるなど、王者セレスの上里琢文は、かつての輝きを取り戻していた。7月15日に想定外の契約解除通告を受ける、その日まではーーー(フットボールライター・池田宣雄【マニラ】)

上里琢文 Takumi Uesato

1990年生まれ、沖縄県宮古島出身。小学5年の初選出以来、沖縄県トレセンとナショナルトレセンの常連となる。宮古高校時代に沖縄代表として兵庫国体(少年の部)に出場し全国優勝を果たす。高校九州選抜やU-18高校選抜に選出されるなど頭角を現し、2009年にJ1京都サンガに加入。2011年途中からJFLFC琉球、2014年からオーストリアのSVアラーハイリゲン、2016年からフィリピンのJPVマリキナでプレー。2018年にフィリピン王者のセレス・ネグロスに移籍して、ACLプレーオフやAFCカップに出場するなどアジアの大舞台に立つ。現在はJPVマリキナに所属。マニラ在住。

◆膝の外側靱帯の損傷、そしてJFLで起こした騒動

J1に残留を果たした二年目はもっと悲惨でした。キャンプ直前の練習で膝の外側靱帯をやってしまって、ほぼ一年間をリハビリに費やしてしまいました。周りからは給料泥棒だとイジられましたね。加藤久さんも途中で更迭されてしまって、結局チームもJ2に降格することになって。

J2に降格した三年目もベンチ外の状況が続いて、JFLFC琉球にレンタルで放出されてしまいました。シーズン終了と同時に京都との契約も満了になって、琉球に完全移籍しました。給料も減りましたし、試合でもなかなか使ってもらえなかったんです。

この頃は、完全に舐め腐っていました。ある日、いつものようにベンチ外になって、スタンドから試合を観てる時に、それまでの鬱憤が心のどこかで爆発して、ハーフタイムに要らないことをツイートしてしまいました。それがファンを巻き込んでの騒動に発展して、僕はチームの活動から除外される事態に陥りました。

その後、契約満了となり琉球から去ることになりました。要らないツイートの件がひとり歩きしたこともあって、僕はもうプロの舞台には二度と戻れないだろうと思いました。

photo via ceres negros fc

◆欧州挑戦、次は膝の内側靭帯の損傷

琉球のチームメイトに、海外での挑戦をサポートするエージェントを知ってる選手がいて、早速連絡を取ってみると、オーストリアでトライアルがあるというお話だったので、行くことにしました。

現地の下部リーグの監督が、僕のプレーを気に入ってくれて、スロバキア1部の練習試合に出場するチャンスを作ってくれました。その監督から「日本人はコンタクトプレーができないと思われてるから、契約したければまず戦う姿を見せてみろ」と強く言われたので、僕は最初のプレーで相手を刈りに行きました。

普段からスライディングの練習をしていなかった僕は、相手と交錯することなく自爆してしまって、今度は膝の内側靱帯をやってしまったんです。僕を連れてきてくれた監督からも大目玉を喰らって、そのまま足を引きずりながら帰国しました。往復チケットはもちろん自腹でした。

その後、沖縄でバイトしながら半年間治療していたところ、オーストリア3部からテストなしのオファーをもらって、月給たったの200ユーロの半年契約という条件で契約しました。住む部屋と食事が支給されましたけど、物価が安い国ではないので完全に赤字でしたね。往復チケット代も出ませんでした。

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