デジタルピヴォ! プラス

ヴォスクオーレ仙台・中野歩理事長「『Mr.ベガルタ』千葉直樹の加入がなければ昇格はなかったかもしれない」(2013/11/27)

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地元仙台で11月6日、ヴォスクオーレ仙台のFリーグ昇格発表記者会見が開かれた。会見に臨んだ中野歩ヴォスクオーレ仙台代表理事(写真左から2人目)。その左が『Mr.ベガルタ』千葉直樹選手、右が大久保芳雄宮城県サッカー協会会長と比嘉ヒカルド監督。写真:©voscuore仙台。

 

ヴォスクオーレ仙台のFリーグ昇格にあたって唯一、不安視されたのが運営経験の浅さだ。中野代表理事も「選手をいくら補強してもフロントの経験がない中で、運営のドタバタ感がチームの結果に反映されると考えている」と謙虚に語っている。そうした要因を飛び越えて仙台を昇格へと向かわせたのは『Mr.ベガルタ』千葉直樹選手の入団だった。引退して久しい千葉選手を熱心に勧誘した中野代表理事には先見の明があったといっていいだろう。

 

まとめ◆デジタルピヴォ! 山下

 

2012年の春にクオーレ仙台を設立

 

Pivo! 改めてキミの経歴を聞きたい。カスカベウ(ペスカドーラ町田の前身)では2007年までプレーしていた。

 

中野 トップチームとしては、Fリーグの1年目までですから2006年までですね。2007年以降は、アスピランチ(下部組織)で都リーグの選手として所属しながら、プレイングマネージャーみたいな感じで、練習の管理をやらしていただいていて。選手登録は、それから3年か4年ぐらいでやめて、コーチとか監督という立場でやってました。

 

Pivo! カスカベウを辞めてからプレーは?

 

中野 カスカベウを辞めたという感覚もないですね。アマチュアだったので、現役を引退したという感覚もなくて。

 

Pivo! 3.11の東日本大震災のあと、被災地・東北の力になりたいという思いがヴォスクオーレ仙台に関わる第一歩になったと以前に聞いた。ヴォスクオーレ、当時はクオーレだが。どういう形で関わっていったかを話してほしい。

 

中野 まずは、2012年の春の段階でクオーレ仙台を立ち上げて。法人格というのもない段階で。それまでは、仙台にディアボーイズというチームがあって。東北リーグのトップチームですが、チームの中心選手の高齢化で、仕事や家庭との両立が難しくなってきて、震災のあった中、後ろ向きのニュースが多くて、なにかやりたいと思って、それならばFリーグを目指すような方向性で。最初は、僕も選手でなんて冗談半分の話もしていたんですけど(笑)、ステラミーゴいわて花巻のFリーグ退会もあって、そこから流入してくる選手もいて、仕切り直してFリーグを目指すというアドバルーンを掲げてやっていこうということになりました。

 

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