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フットサル戦術講座講師・小松竜一「36歳でFリーグデビューを目指す、そこが目標なんで」(2014/9/22)

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準会員リーグ所属のビークス白山(北信越リーグ)のフィクソとして戦っている小松竜一。動きの質を高めてチームと共にFリーグの舞台でプレーすることを目標としている。

 

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日本対ブラジル戦で金山に圧力をかけるネット。ネットは2012年ワールドカップ決勝戦で決勝ゴールをあげた選手だ。

 

▼日本代表を追ってブラジルへ

ブラジルのサンパウロ州サンベルナルド市で行われる「日本・ブラジル親善国際フットサル大会」を取材するために僕が生涯2度目のブラジル訪問をしたのが2003年1月。今から11年と8か月前のことだ。この大会に出場するためにブラジル遠征を敢行したフットサル日本代表の当時のメンバーを紹介しよう。ゴレイロは川原永光(田原FC)、渡辺博之(ZOTT)の2人。フィールドプレーヤーはキャプテン市原誉昭(PREDATOR)を筆頭に、難波田治(FIRE FOX)、木暮賢一郎(FIRE FOX)、相根澄(CASCAVEL)、前田喜史(CASCAVEL)、金山友紀(CASCAVEL)、藤井健太(MAG’S FUTSAL CLUB)、松田和也(旭屋)、山蔦一弘(旭屋)、和泉秀実(田原FC)の総勢12名。当時の日本フットサルの勢力図を見るような顔ぶれだ。このうち4人が今でも現役のFリーガーとして活躍していることは驚嘆に値する。対するセレソンことブラジル代表はマノエル トビアスをはじめファルカン、フィニーニョ、ネット、レイトンらキラ星のような名前が並ぶ。会場には7,000人の観客が詰めかけ、セレソン人気に圧倒された。今でも印象に残っているのは会場のあちこちに手書きのプラカードを掲げている人がたくさんいたこと。故郷の家族や友だちへ思い思いのメッセージをテレビカメラに向けて掲げているのだという。こういう入場の目的もあるんだなと感心したのを覚えている。試合はセレソンの猛攻の前に日本はなす術なく1-8で敗れた。

まとめ◆デジタルピヴォ!山下

 

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ブラジルのクラブチームの選手として異国の地で母国の代表チームと対戦した。

 

▼ウィンプロに所属する日本人選手

前振りが長くなったが、今回の主役に登場願おう。日本対ブラジル戦が行われた1月19日の2日前、同じ会場で日本代表はサンパウロ州1部リーグに所属するA.D.ウィンプロと練習試合を行ったが、そのチームに日本人選手がいた。それが小松竜一、同時23歳だった。このチームに小松は前年10月7日から半年間の約束で練習参加していて、その期間中に、武者修行先の異国の地で母国の代表チームと戦う機会が巡ってきたのだった。彼との付き合いはこのときからで、以来、携帯サイトの執筆を経てデジタルピヴォ!プラス創刊後に「小松竜一のフットサル戦術講座」を執筆してもらっている。今回はその小松と出会った当時のことを綴っていきます。
ウィンプロは、バネスパやサンパウロ、パルメイラスといった資金力のあるチームが出場するナショナルリーグ「リーガ」のワンランク下のリーグに属するチームだが、それでも専任監督、フィジカルコーチ、GKコーチ、ホペイロ(雑用係)、ドクターなどスタッフが充実している。日本でいうと都リーグと地域リーグの中間に位置するチームですらこれだけスタッフが充実している、ブラジルならではの事実に衝撃を受けたのを覚えている。当時の日本は代表監督以外、すべてのクラブチームの指揮を選手兼任監督が執っていたといっていいくらいだった。当時の小松の寄稿文に監督に関係するこんな一文がある。

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