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[フットサル史探訪]「本場ブラジルのトッププロチームにチンチンにやられてきました」(2014/9/26)

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2000年2月、フットサル王国での衝撃の体験をカスカヴェウの市原選手がリアルに伝えている。

 

「BARUERI CUP 2000」
参加チーム/グループA
A.D.Cゼネラルモーター サンカエターノ
スポーツクラブ コリンチャンス パウリスタ
ASPA F.C. 奈良-日本
A.D.C.ウインプロ オウラルオ
ブループB
スポーツクラブ バネスパ サンパロマ-S.P.
グレミオ レクリエティボ バルエリ-S.P.
カスカベウB.C. 東京-日本
ソシエダード エスポルテボ パルメイラス-S.P.
2000年2月9~3月1日 ブラジル サンパウロ州バルエリ市

 

▼全日本閉幕3日後のフライト

第5回全日本選手権大会が2000年2月4日から6日までの3日間、駒沢体育館で開催されファイルフォックスが2連覇を飾ったことは前回の[探訪]で報告した。その全日本が終わって3日後の2月9日、全日本選手権で準優勝したアスパと、本戦出場を逃したカスカヴェウが関空と成田からそれぞれ飛び立った。このツアーがユニークなのは、その全日本で2連覇したファイルの眞境名オスカー監督とキャプテン難波田治、ベスト4に終わったウィニングドッグの木暮賢一郎らがカスカヴェウのメンバーとして参加していることだ。JALの直行便(当時)で24時間後に着いた彼らの目的地は、ブラジル サンパウロ。現地滞在18日間で13試合を消化するという強行軍の中で彼らがつかんだものは何だったのか。リーガ天竜の主宰者・安光マリオ氏が企画した今回のツアーの“収穫”を参加者自身のレポートで明らかにする。まずはカスカヴェウ市原のレポートを紹介しよう。12歳から8年間をサッカー修行のためにブラジルで過ごしている市原にとってフットサルでの遠征は特別な思いがあったようだ。

まとめ◆デジタルピヴォ! 山下

 

▼社交辞令抜きの真剣勝負

相手はコリンチャンスやパルメイラス、さらに名門中の名門バネスパという、キラ星のようなブラジルのプロチーム。アンタら、格闘技の選手かい!? といいたくなるような彼らとの社交辞令抜きの真剣勝負で、彼らの強さ、速さ、うまさを思い知らされた。オレたちがやってきたものは何だったのか。自分たちの存在そのものを否定されかねないような18日間を、冷静に振り返ってみた。ブラジルとの差は、とんでもなく大きいということをみんなに知ってほしいから。

文◆市原誉昭(CASCAVEL)

 

▼平均身長180cm
彼らは格闘技の選手のようだった

2月9日から3月1日までの約3週間、ブラジル サンパウロ州バルエリという町で行われる「BARUERI CUP 2000」という大会に参戦するのを主な目的に、日本からCASCAVEL(カスカヴェウ)とASPA FC(アスパ)がブラジルへ渡った。
出発前に大会の組み合わせを知ることができ、正直、出場するチームを目にしたとき、驚きのあまりにそのときだけ全日本選手権に出られなかった悔しさが「パッ」と頭の中から消えてしまった。
出場チームは、ブループAがコリンチャンス、GM/シボレー、ウィンプロ、アスパ。ブループBがECバネスパ、パルメイラス、バルエリ、カスカヴェウの計8チ-ム。僕たちの初戦の相手はサンパウロの名門中の名門、ECバネスパだった。
試合前に、大会関係者が「今のバネスパはあまり調子がよくないからなぁ」などといっているのを耳にしたので、もしかしたらという気持ちは少なからず自分の中にあった。

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