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篠崎隆樹(ペスカドーラ町田) 蹴球自分史3 ~中学生時代~(2016/5/20)

 

1984.2.22 生まれ
1991~1996 まつひだいSC
1996~1999 まつひだいクラッキス(現FCクラッキス松戸)
1999~2002 船橋北高校
2002~2003 Santo Andre(BRASIL)
2004~2007 CRAQUES
2007~2008 湘南ベルマーレフットサルクラブ
2008~ ASVペスカドーラ町田

 

サッカーに明け暮れた毎日

中学は鎌ヶ谷私立第三中学校に進みました。中学校のとき、サッカーしか知らない学生でしたね。教室にボール持ってって、休み時間10分チャイムが鳴ってから次のチャイムが鳴るまで、後ろのロッカーの前でひたすらリフティングの技(ワザ?)の練習だったりとかしてましたね。しょっちゅう先生にボール没収されてたんで(笑)。それでもまた持ってって、みたいなことの繰り返しでしたね。リフティングですか? 何かきっかけがないと入り込みにくいと思うんですよね、何事も。僕のきっかけはそういうリフティングだったりとか、テクニックだったりといったところにサッカーの楽しさを見出してたので。そこに触れられたっていうのは大きかったです。

学校では誰かしらがボール持ってきてたので、廊下で壁をゴールに2対2とかしてました。家庭科室の前行って落ちてるボビン拾って。ボビン、知りません? プラスチックの芯に糸を巻いたやつで、それをボール代わりに、そこでも1対1や2対2やったり(笑)。廊下の蛍光灯も割ったし。しょっちゅう、そんなことばっかりやってました。

学校が終わるとすぐに、所属していたクラブチーム、クラッキスの練習でした。練習場は学校から歩いて1時間くらいかかるんです。学校が、距離によって自転車で通える人と通えない人がいたんです。オレも、道1本はさめば自転車通学だったんですけど、道1本、自分の家が手前だったんで、自転車で行けないぎりぎりの距離だったんです。けど、家が近い友だちがいて彼も徒歩通学。毎日学校帰り、そいつと、練習早くいきたかったからそのまま走って帰ってましたね。なんか坂道とかも多いんですけど、基礎体力という部分では、走り込みをそこまでやった記憶はないので、そういうので逆に培われたのかなっていうのはありますね。大きいランドセルみたいなバッグで、そこに教科書全部詰め込んで、背負ってトレーニング代わりに走って帰っていました。

北田耕平

一緒に通学してたのが、北田耕平。朝オレが彼の家に寄って、帰りは一緒に走って帰ってきて。

(残り 2396文字/全文: 3422文字)

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