久保憲司のロック・エンサイクロペディア

イギー・ポップの「ラスト・フォー・ライフ」 ・・・ベルリンでドラッグの売人が来るまでの間にデビッド・ボウイとイギー・ポップが作っただろう曲(久保憲司)

 
Lust For Life
イギー・ポップの新作『ポスト・ポップ・ディプレッション』は“いいアルバムだ、みんな聴いた方がいいぞ”と「今週のヘッドハンター」で書いたんですが、なんとイギー・ポップ引退するみたいです。

引退と言ってもライブなんかはするそうですけどね。「誕生日の歌を歌いに行く、営業とかはするけどね」と冗談で言ってますが、マジに金持ちになったらイギーに「ハッピー・バースディ」歌ってもらえる営業してもらいたいです。1千万くらいでやってもらえるんですかね。500万でもいけそうですかね。どうでしょう?

インタビューでイギーが「もうレコードを作らない」と告白するのを『ポスト・ポップ・ディプレッション』のプロデューサーだったジョシュ・オムが悲しそうに聞いているのが、グッときてしまいます。

レコードを作らない理由は、「レコードを作るというのはすごい精神を使う」から、それはよく分かりますが、なんか悲しいです。僕にとってイギーは一生イギーなはずだったのに。

でもね、今、イギーといえばイギー・ポップじゃなく、イギー・アゼリアの時代ですからね。イギーと検索したら、イギー・アゼリアの方が先に出てくるんですよ。こんなこと間違っている、イギーがどれだけすごいか書こうと思っています。

 

でもね(2回目ですが)、本当のことを言うと、『ポスト・ポップ・ディプレッション』のプロモーションやライブを見ているとイギーおじいちゃんになったなと思うのですよ。イギーって、ずっと魔人だったのに。ヘンリー・ロリンズがいつもイギーをぶちかまそうとしても、いつもイギーにぶちかまされるというヘンリー・ロリンズの定番ネタがあります。僕にとってのイギーはこれなんですよね。最強の男。

カーネギー・ホールでイギーがダイブしたら、誰もイギーを受け止めなく、それでイギーの体曲っちゃたんですよね。それで体小さくなって、それからイギーはどこか弱くなってしまった気がします。

 

 イギーは野獣だったですけど、とっても知的な人です。

 

 

1969年に俺たちなにもやることがない”と歌ったって画期的なことですよ。1969年って、まだみんながフラワー・パワーを信じていた頃ですよ。日本ではカウンター・カルチャーやヒッピーは1969年のウッドストックまで続いていたと思っている人がほとんどでしょう。ウッドストックに40万人もの人が集まった。その頃が頂点だったと。ウッドストックを映画にして、それを見た世界中の若者たちは「革命だ!イェーイ!!」てなったんですけど、その頃にはすべて終わっていたんです。

そのことをなんとなく理解していたイギー・ポップは天才だと思いますよ。同じアルバムで「ノー・ファン」とも歌ったのですから、みんなんがドラッグやって、フリー・セックスしている時に。

イギーのカッコよさってこれなんですよ。人生なんてなんもないということを初めて歌った人なんですよ。今だと普通のことですけどね。デヴィッド・ボウイがイギーに憧れたのもこの部分なんです。適当に歌っているだけ、即興といえば即興なんですけど。その究極がイギー・ポップで一番売れた曲、「ラスト・フォー・ライフ」です。

 

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tags: David Bowie Iggy Pop

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