久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ミーゴス 『CULTURE II』 …ネトウヨも喜ぶヒップホップ・アーティスト、ミーゴスは「班長、班長」となぜラップするのか (久保憲司)

 

ネトウヨも喜ぶヒップホップ・アーティストといえばミーゴス!!  日本語が飛び交ってます。飛び交ってるというのは嘘ですけど、ずっと班長!班長!って言葉がラップされまくるのです。聞いていて、気持ちいいです。こんなに日本語がファンキーになのかと嬉しくなります。

 

 

なんで班長、班長ってラップされまくるかというと、メンバーのクウェボのもう一つの名前がハンチョウ(班長)・ジャックなのです。

クリス・ペプラーさんはアメリカ人の使うHunchoという言葉は「進駐軍が持ち帰って定着した」とラジオで言ってたそうなんですが、僕はそうだと思わないんですよね。西部時代、アメリカに鉄道が引かれだした頃、その鉄道を作ったのは黒人や中国人だと言われています。でも、実は日本人もたくさんその頃アメリカに渡り、その過酷な労働に従事したんです。そして、仕事の出来る日本人はリーダー(班長)とみんなから慕われるようになったのです。だから、仕事が出来るリーダー、頼れるやつはHunchoと呼ばれるようになったのです。

Hunchoという言葉を聞くと、僕は西部の無法地帯を、日本で仕事にあぶれた日本人たちが、言葉もわからないけど、現地の奴らや、同じようにこき使われている黒人、中国人、メキシコ人らとこんな会話をしたのが目に浮かぶのです。「お前、本当に仕事出来るな。お前はここの現場仕切れよ、リーダーだ。リーダーって、お前の国でリーダーはなんて言うだ。」「班長かな」「ハンチョウ!変な発音だな。」「お前のあだ名はこれからハンチョウだ!」こうやって班長という言葉がアメリカで定着していったのです。

ねっ、ネトウヨが狂喜乱舞する話でしょう。僕これ大好きなんですよ。班長というのは実は班の長という意味じゃなく、アメリカでは頼れるやつ、信頼出来るやつ、尊敬出来るやつという意味が込められているんです。「あの日本人は体は小さいけど、心のデカいやつだな」と。

 

ミーゴスの話から外れていってしまうのですが、この頃定着した言葉にHobo(ホーボー)って言葉があります。ボブ・ディランが憧れた世界です。“アメリカで19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、働きながら方々を渡り歩いた渡り鳥労働者のこと。ホームレスのサブカルチャーの一員。鉄道に無賃乗車を決め込みながら、時には追い立てられ、アメリカの自由なフロンティア・スピリットを自らに体現し、文学や音楽の世界で多くの人が彼らに憧れと共感を示しました。ウディ・ガスリー、ボブ・ディラン、ポール・サイモンティム・バックリィなどフォークをベースにした音楽を作った人たちには、ホーボーを歌った曲、タイトルがある。日本でも川村カオリに「ホーボー・ブルース」、山崎まさよしに「HOBO Walking」という曲があります。

文学上では、ジャック・ロンドンの『ザ・ロード』、ジョン・スタインベックの『二十日鼠と人間』、ドス・パソスの『USA』、ジャック・ケルアックの『路上(オン・ザ・ロード)』などが有名。なかでもジャック・ケルアックの『路上』は、若者に多くの共感者を見出し、ビート・ジェネレーションという精神的な運動を生み出した。短編小説の名手、オー・ヘンリーの作品のなかにもホーボーを描いたものがあります。

映画では、『北国の帝王』(主演:リー・マーヴィン)が、列車の屋根に無賃乗車(トレイン・サーフィン)したホーボーとそれを取り締まる冷酷無慈悲な車掌との対決を描いて、その生活の実際をよく見せている。マーチン・スコセッシ監督の初期作品『明日に処刑を…』は、ホーボーにして政治活動家の女性を主人公とするベン・ライトマンの小説『Sister of the Road』を脚色したもの。

 

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