久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ロックの闘争は敗北の歴史。でもそれが、若い人たちにとっての革命のヒントの書になることを期待している。僕も戦うけど。 [ロックの闘争(10)] (久保憲司)

 

前回から続く

昔『ロックの闘争』という電子書籍を出していたのですが、ネット上からなくなっているので、6回くらいに分けてここにもアップして行きたいと思います。昔読んだことあると思う人はすいません、でも、今読むとまた感覚も違うかもしれません、自分のロック史を語りながら、ロックがどのようにカウンター・カルチャーだったかということを書いた連載です。自分で言うのもなんでが、結構面白いと思います。


 

敗北を繰り返しながら、戦いは続く

 僕がイギリスにいる頃、1984年頃のことです。日本でも反原発の動きが若者の間で広がっていった。『アトミック・カフェ』(注.1)という反核映画を上映したり、広瀬隆さんの本が出版された頃。その動きが「アトミック・カフェ」という、映画と同じ名前の運動となった。そのアトミック・カフェの中心人物が、内田裕也さんの元マネジャーで、『ロッキング・オン』の営業をしていた大久保青志(注.2)さんだ。あの尾崎豊さんがスピーカーの上から飛び降りて、足を骨折しながら歌いきったという伝説は、そんな運動をしていた人たちが企画したコンサート(注.3)で起こったことだ。

ある日、忌野清志郎さんの事務所に広瀬隆さんの本が送られてきて、それを読んだ清志郎さんが、その日からああいった歌を歌いだしたという。その本を送ったのは、当時アトミック・カフェの一員だった松沢呉一(注.4)さんだ。本人はその事実を一切憶えてないそうだが、当時清志郎さんのファン・クラブの会報をつくっていた評論家の三田格(注.5)さんが憶えてた。

僕は、イギリスの反核運動をサポートしていたグラストンベリー・フェスティバル(注.6)に行ったりしていた。そこで、そういう海外の反核運動を紹介することで、日本の反核運動を活性化させようとしていたライター/カメラマンの花房浩一(注.7)さんに仕事をもらうようになる。グラスンベリー・フェスティバルでは、イギリスの反核運動がどういったものかと見学に来た、アトミック・カフェのメンバーたちと会うこともが多く、松沢呉一さんと初めて会ったのもグラストンベリーの会場だった。

 僕はそれほど運動をしていたわけではないが、いつもサポートしたいという気持ちだった。そして、7年前の福島の原発事故で思ったのは、なぜ僕はもっと大きな声を出し続けなかったかということである。僕たちは止められる力を持っていたはずなのに、「広瀬隆さんはやっぱちょっと陰謀論ぽいな」「日本の技術は優秀だから、海外のような事故は起さないだろう」と自分に思い込ませることで、反核の運動からすこしづつ離れていった。それがこの大惨事を生んでしまったのである。もうこれから少なくとも20年以上、僕たちは放射能の恐怖に怯えながら生きていかなければならない。自分たちがこの地獄をつくったのです。あの時、もっと声をずっと出し続けていればこういう事にならなかったのかもしれないのだ。「(ワッツ・ソー・ファニー・アバウト)ピース 、ラブ・アンド・アンダースティング」は、まさにそういうことを歌っている歌だ。「反原発、反原発って、そんなにおかしな事かい」なのである。今だったら、「反安倍、反安倍って、そんなにおかしな事かい」なのである。

『フーズ・ネクスト』の話をするのは難しい。なぜなら『フーズ・ネクスト』は“ライフハウス・プロジェクト”という、『トミー』の次に企画されたロック・オペラの残骸だからである。

“ライフハウス・プロジェクト”というロック・オペラは実現しなかった。それは今でいうリアリティ・ドラマみたいな構想だったので、当時の人たちは一体何がなんだかよくわからなかったようだ。企画していたピート・タウンゼンド本人からして、記者会見の途中で途中でどう説明していいかわからなくなったそうだ。

 ピート・タウンゼンドはぶっ飛んでたんでしょうね。“ライフハウス・プロジェクト”のアイデアを思いついたときは、「これだ」と思ったんですけど、シラフになると、「あれっ」となったのだろう。普段はこういうピートの思いつきを、ちゃんとした企画にしてくれるマネジャーのキット・ランバートが『トミー』の映画化で忙しく、アイデアを整理出来なかったのも、不運だった。

でも、実現したらすごい企画だった。これは、町の若者を適当にピックアップして、とある会場に連れていく。そうするとそこにザ・フーが登場して、後に『フーズ・ネクスト』で使われる曲を演奏する。それを“ライフハウス・プロジェクト”というロック・オペラにする。そのオペラに触発された若者たちは、バンドを乗り越えて、革命にひた走る。本当に革命にひた走る。それをちゃんと映像に残しておいて、全世界で公開して、世界同時革命が起こる。そんなことを考えていたのです。“全世界で公開して、世界同時革命が起こる”いうのは僕が加えたんだけどね。映像は本当に撮ろうとしていたみたいだ。そして、それでどうするつもりだったか、僕は妄想したのだ。

バカですね。しかし、1968~69年は、本当に世の中が変りそうだったのだ。そういうことを妄想し、本当にそういうことをやろうとしたのはわかる。中国では、実際に若者が文化大革命を起した。裏で毛沢東に利用されていたとしても、若者が革命を起したのです。四人組=ギャング・オブ・フォー(注.8)によって。

 ザ・フーは、本当にオールド・VICというロンドンの劇場を1週間借りて、3日間、本当にこのキチガイな発想でライブをやっているのだ。その音源は残っていて、『フーズ・ネクスト』のスペシャル・エディションで聞けるが、「前の方空いているから。よかったら、前に来てくれる? そして、よかったら、踊ってくれてもいいよ」というピートのMCが爆笑だ。あのピートがお客にへりくだっているんだから。

噂ではお客が「〈マイ・ジェネレーション〉」やれ」「知っている曲やれ」とヤジっていたということになっているが、この音源を聞くかぎりそんなことはない。当時、世界一のライブ・バンド、ザ・フーのライブがなんでただで見れるんだときょとんとしているお客の空気が感じられるような、静かなライブだ。

ピートがやろうとしていたのは『トミー』の最後の部分「俺たちはしないよ」だよね。お前ら本当に立ち上がれよと。こんなキチガイみたいなことをやったとしても、その心意気だけでも感動する。 メンバーもよく、こんなわけのわからないことにつき合ったと思う。3日目くらいに、「もう止めようか」って、誰ともなく言ったそうだから。ちょっとこのときの楽屋見てみたかった。

 

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