久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ザ・クラッシュ「1977」 夢も希望もなくなったこの現代に、なんで日本のアーティストは日の丸に敬意をもとうとか、そんな歌ばっかり歌おうとするんですかね (久保憲司)

 

パンクというのは過去を否定していると思われている。アンチ、カウンターの代表選手だと。

その一番の理由は“1977年にエルビスもビートルズもローリング・ストーンズもいらない”と歌ったクラッシュの「1977」だろう。ファースト・シングル「ホワイト・ライオット」のB面、キンクスの「オール・デイ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト」のリフをグシャグシャにしたようなリフ(そうでもないですけど)にのせて歌われるこのメッセージはかっこいい。今考えるとサンプリング・ミュージックみたいなものですね。

 

 

音楽っていつもそうなんでけどね、先代の作ったものに新しい思想を乗せて自分のものにする。世の中なんでもこうなんですけどね。批評、世の中批評が一番大事です。

「1977」を久しぶりに聴いたら、1977年にエルヴィスも、ビートルズも、ローリング・ストーンもいらないなんて歌ってなかったです。当時の評論家の人たちは勝手に話しを作りすぎでしょう。「 1977」がどういう歌かというと、

 

1977年、俺は死にたい。
なぜなら、俺はずっと失業保険で生きているから。
俺は働けない。
俺は危険人物。

「1977」

 

引きこもりかと思わず、ツッコミたくなります。今の日本みたいですね。

 

2018年、俺は死にたい。
仕事は最低だから辞めた。
バイトすることにしたら、時給850円で生きていけない。

「2018」

なんてね。

 

そして、一回目のオチにつながるんです。

 

1977年にはエルビスも、ビートルズも、
ローリング・ストーンズもいないと顔にペイントしな。

「1977」

 

1977年にはお前を助けてくれるヒーローはいない、希望なんてないという歌だったんです。涙が出ました。

 

 

ストラングラーズの「ノー・モア・ヒーローズ」という曲は「1977」のコンセプトをパクっているんだと気づきました。ストラングラーズのベースのジャン・ジャック・バーネルがインタビューで「エルビス・プレスリーが死んだ日に、この頃はヒーローがいないなと思って書いた」とかっこいいことを書いていましたが、違うでしょう。ストラングラーズの場合は“ロシアの革命家トロッキーはどうなった”と歌われるので、革命家(ヒーロー)の運命(最後)なんてどんなもんだいという歌に変えられてはいるんですけど。

これで、ジャン・ジャック・バーネルがクラッシュのベーシスト、ポール・シムノンにボコボコにされた理由が分かりました。この年寄り野郎、俺たちのネタパクリやがってということだったんでしょう。

この時期というのはデヴィッド・ボウイが「ヒーローズ」を出して、新しい世代は、何がヒーローだ、そんなものいないぞ、もしくは俺たちが次のヒーローだと考えらていたのです。評論家の論点からだと過去のものより、新しい方が優れていると書く方がわかりやすいですよね。でもパンクはそんなこと歌ってなかったのです。

「1977」に話しを戻しますと、この歌われている少年がどうなるかというと、

 

 ナイフ、スタンガンを持ちな、運が良ければ、お前は金持ちになるぜ

「1977」

 

と歌われるのです。夢も希望もないと、犯罪者になるぜと。

 

 

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