久保憲司のロック・エンサイクロペディア

アレサ・フランクリン『アイ・ネヴァー・ラブド・ア・マン・ザ・ウェイ・アイ・ラブ・ユー』誰もアレサのようにはなれない。誰も彼女をうまくプロデュースすることを出来なかった

 

いつか来るとは思っていたが、ついにこの日が来てしまった。僕にとっての2大ソウル・シンガーの一人、アレサ・フランクリンが亡くなった。僕の夢がなくなってしまった。飛行機に乗れない彼女を見に、アメリカに行くのが夢だったのに、その夢は叶わなかった。

見るというのはおかしいか、でも見るかな、自分にとってはジーザス・クライストを見るようなものなのだ。奇跡を見る、彼女の声を浴びるという感じなのだ。

彼女の歌声に全身を包まれたい。

彼女の声が僕のどこから入るのか、僕は全くわからない。でも、彼女の歌声は頭のてっぺんから、足のつま先まで彼女の声が僕の身体中を走りまわる。

人間に魂があるのか、普段は自分というものを意識している。それを人は魂だと思っている。そいつが、脳みそに命令して、体を動かしているのだと。彼女の声を聞くとそんなことどこかに忘れさせてくれる。自分に魂なんかない、自分にあるのは体だけ、彼女の声に震える体だけを自分は感じることが出来るのだ。

まさにセックス!ロックンロールなのだ。ロックンロールは黒人がセックスの隠語として使っていた言葉ですね。魂なんかどうでもいいんだ。魂を忘れさせてくれる音楽がソウル・ミュージックなのだ。

ソウル・ミュージックとは感情を込めて歌う音楽とみんな思っているでしょう。違うんです。魂を忘れるために歌うのです。みんなに魂を忘れるてもらって、体だけになってもらうって、自分から解放してもらうために歌い踊るのです。魂みたいな煩わしいこと全部忘れるために、そうじゃないと気が狂ってしまうから。

ゴスペル・ミュージックというのトランス状態になって、自分の魂と神様だけの存在になることが目的のように見えますけど、その本質は最終的には自分だけになるということなのです。このことを見抜いていた白人たちはゴスペル・ミュージックから派生した黒人の音楽を悪魔の音楽、デビルズ・ミュージックと呼んだのです。

天国に一人ただずんでいるような気分にさせてくれるアレサ・フランクリンの歌声をデビルズ・ミュージックと呼んでしまっていんでしょうか?でも、彼女の歌声の背景はこういうことなのです。これがブラック・ミュージックの本質です。そして、それを突き抜けたところに彼女の歌声があるのです。

神様もいない、自分だけになるためだと書いたのに、天国なんて書いてしまっていますが、彼女の歌声は天国のようなところで聞こえる歌声なのです。彼女の歌声を聴いていると自分の体が地面から浮いているような錯覚をさせてくれる。

なぜ彼女だけがそんな声を出せることが出来たのか謎です。マイケル・ジャクソンは彼女のようになろうと一生懸命世界平和だ、ラブだと歌いましたが、彼女のような声を出すことは最後まで出すことが出来ませんでした。マイケルが宇宙、人類愛と歌いだすたびにそれは寒い感じになっていった。第二のマイケル・ジャクソンに一番近いザ・ウィークエンドはそんな罠にハマらないためにどんどんダークな世界に突入していってます。

誰もアレサのようにはなれない。でもアレサはピアノの前に座って、コードを弾いて、歌いだした瞬間からアレサ・フランクリンになるのです。

そんなアレサ・フランクリンですけど、彼女の問題はそんな天才だったからか、誰も彼女をうまくプロデュースすることを出来なかった。だから残念ながら彼女はこれだと言える最高傑作のアルバムも、ベスト・シングルも、ベスト・ライブ盤もないのです。ライブ盤に関してはバック・バンドが2流かもしれないけど、フィルモアのライブ盤よりコンパクトにまとまっている『ライブ・イン・パリス』の方が好きです。この時のライブがオーディス・レディングのように普段のメンバーとやっていたら『オーティス・レディング ライブ・イン・ヨーロッパ』のような名盤になっていたのにと思うのですが、残念です。

 

 

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