久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ニルヴァーナ『スリヴァー』 僕らは世界の終末がこないというのは知っているけど、もう全て終わったなということを知っている世代 (久保憲司)

 

カート・コバーン、不思議な人。女性の服装を着てステージに出て(かっこいい!)、ライオット・ガール(あのプッシー・ライオットに多大な影響を与えたパンクを通過したフェミニズム・バンド・ムーブメント)の良き理解者で、とってもリベラルなはずなのに、妹がレズビアンと判明した時に、母親から「なんとかしてくれ」(なんとかしてくれという母親もどうかしてますが)と頼まれて、「お前、男とやったことあるの?やってみたら、いいかもしれないよ」と言った男。

これがアメリカの現実かもしれないです。トランプが大統領になるわけです。キリスト教が大きく立ちはだかる。キリスト教というより福音派ですけど。本当のキリスト教はそんなに悪い宗教だとは思わないです。元々は悪いことをしてきたんですけど、生き残るために良い宗教にどんどんと変わっていったのです。そして、今も変わっていく途中なのです。と書いたのですが、カソリックの牧師による信者のお子さんに対する性的虐待、2008年4月18日教皇ベネディクト16世が訪米し、被害者達に面会して直接謝罪したりして、これから改善されていくのかと思っていたら、2010年3月25日のニューヨーク・タイムズで、教皇ベネディクト16世自身が枢機卿在任時に、虐待をしていた司祭の処分を見送っていた疑惑が報道され、これに対し教皇は「つまらぬゴシップ」と切り捨て、周辺の司教らは一連の性的虐待事件について「一部の者の過ち」とし続けており、「性的虐待はカトリックだけの問題ではない」「何者かの陰謀だ」と逆に反発を強めているそうで、こちらもトランプと同じようにフェィク・ニュースだと言っているみたいで怖いです。全米4万2000人の司祭のうち、約3000人が性的虐待の疑いで弾劾されたのですが、聖職者の7%が性的虐待やっていたわけで、この数字ってとんでもないわけですけど、この人たちを全部クビにしたら、組織が維持できないということなんでしょうけど、そんなこと思っている場合じゃないですよね。どちらかという未成年の人は成人してからじゃないと宗教活動をしてはいけないという法律を作った方がいいような数字ですよ。

 

ジョン・ライドンがセックス・ピストルズを辞めて、作ったバンド、パブリック・イメージ・リミテッドで、詩の朗読までして、戦おうとしたのが宗教です。

 

 

“ お前は反対から読んだら犬(dog) でしかない神(God)に祈るのか”

 

彼はカソリックでした。この詩は病気で苦しみ死にゆく母親に、彼女が信じていた牧師さんが、彼女に対して何ら安らぎを与えなかったことに対する怒りから生まれた曲が「レリジョン」です。この詩の朗読のあと音楽付きで「レリジョンⅡ」が始まるわけです。彼はこのメッセージをちゃんと伝えたいために、音楽なしの朗読をしたわけです。セックス・ピストルズの時は自分のメッセージを聴いて欲しくないから無茶苦茶に歌っていたのに。

カート・コバーンは本当にリベラルかどうかの話から、変な方向に行ってしまいました。アメリカで諸悪の根源は宗教だとかいいにくいですよね。あのジョン・レノンでさえ、「僕らキリストより有名かも」というヨーロッパだとユーモアで通用した小ネタも、アメリカでは謝罪しないといけないくらいの大問題に発展しました。

アメリカで有名人でリベラルでいるということは大変なことだと思います。いや、いやこんなこと書いたらダメですよね。だからアメリカではネトウヨが力を振るうわけです(70年代のベトナム反戦の頃はネトウヨが言う左巻きが力を持ってたわけですけど)。

僕はカート・コバーンは「ヤング・マーブル・ジャイアンツが好き」とか言って、何となくリベラルを装っているのかなとずっと思っていたんです。

 

 

ヤング・マーブル・ジャイアンツみたいなエキセントリック?実験的?なんて言ったらいいんですかね、変わったバンドを好きと言っていたら、かっこいいと思われるみたいな。だって、ニルヴァーナにヤング・マーブル・ジャイアンツぽさなんか、全然ないじゃないですか、とずっと思っていたんですが、久々にヤング・マーブル・ジャイアンツを聞いてびっくりしました。ニルヴァーナの「ポリー」は完全にヤング・マーブル・ジャイアンツ「ブランド-ニュー-ライフ」をパクっているというか、替え歌ですよね。こんな書き方してカートに酷いと思うですけど、でもこれを聞いて、カートは天才だと思いました。ヤング・マーブル・ジャイアンツをこんな風に消化出来るんだとびっくりしました。

 

 

 

「ポリー」は不気味な曲です。ロック・コンサート帰りの14歳の少女を誘拐し、監禁、レイプした連続レイピスト、ジェラルド・フレンドの目線で歌った曲です。ボブ・ディランから「カート・コーバンは勇気がある」と褒められ曲です。トゥルマン・カーポーティーの「冷血」のような殺人者の供述だけで綴られた小説のような、文学な作品です。

レイプ犯の気持ちで歌うというアイデアはXの「ジョニー・ヒット・アンド・ラン・ポーリーン」から得たものでしょう。レイプされた人もポリー、ポーリーンと同じ名前ですしね。

 

 

さすがのボブ・ディランもXは知らなかったか!でもXはボブ・ディラン・ラジオでかけていたような気もするんですが、どうでしょう。

 「ポリー」は「ジョニー・ヒット・アンド・ラン・ポーリーン」よりももっと進んでいますけどね。ヤング・マーブル・ジャイアンツ「ブランド-ニュー-ライフ」は「ポリー」と同じことを歌っていて、びっくりしました。「ブランド-ニュー-ライフ」はレイプの歌ではないですよ。失恋の歌です。失恋して、部屋から一歩も出られなくなった女性の歌です。絶対に誰ももう来てくれないのは分かっているけど、でも、いつかあのドアの向こうのベルが鳴ると思っている歌です。

ようするにもう終わってしまったという歌です。若かったらまだソファから立ち上がって出ていけるのに、もう全てを知ってしまった今となってはもう何も出来ないという歌です。ヤング・マーブル・ジャイアンツもカートも若いのにね。

でも、もう僕ら全てを知ってしまった世代なんですよ。世界の終末がこないというのは知っているけど、もう全て終わったなということを知っている世代なのです。ヤング・マーブル・ジャイアンツの「ブランド – ニュー – ライフ」も「ポリー」ももうどこにも行けないという歌です。ディランはレイプ犯の目線で歌った「ポリー」がすごいというけど、「ポリー」の目線も僕たちには伝わってくる。もう動けなくなってしまった自分、すごい悲劇に巻き込まれているのに、全ての出来事を他人事のように俯瞰している空気感が伝わってくる。

もう、終わってしまったのだと。ドアーズの「ジ・エンド」を聞いても、全く終わった感がしないけど、カートの歌はもう全て終わったような気がする。それがニルヴァーナだったなと。

 

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