久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ディープ・パープル『ライブ・イン・ジャパン』 こんなの化石と笑うことも出来るかも知れません。でも、これが始まりなのです [世界のロック記憶遺産100]

 

ロック史上絶対聴かなければならないN01ライブ・アルバムと言えばディープ・パープル『ライブ・イン・ジャパン』(海外のタイトルは『メイド・イン・ジャパン』。発売から46年経つがその事実はいまだ変わらない。

 

 

今ディープ・パープルが好きと言うのは正直恥ずかしいことだ。評論家的にはザ・フー『ライブ・アット・リーズ』、MC5の『キック・アウト・ザ・ジャム』、ローリング・ストーンズ『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』のどれかを一番と言うのが正解だと思うのだが、僕は正直に告白します。ライブ・アルバムの中で一番好きなのは『ライブ・イン・ジャパン』です。そして、今も通用します、のはず、皆さん、一度聞いて見てください。特にロックは死んだという人には絶対聴いてもらいたいライブ・アルバム。これがロックだ。

とにかく一曲目の「ハイウェイ・スター」からヤバい。ジョン・ロードの試し弾きのような軽快なハモンド・オルガンをファンファーレに(クラシックの名曲のフレーズなんでしょうか、クラシック弱くってすいません)、タッタッタッと競走馬のようにたたみ掛けてくるイアン・ペイスのドラム、それに絡むマーシャル・アンプで歪んだジョン・ロードのファンキーなキーボード、そのグルーヴに我慢出来ないかのように「フー」とオルガスムスに達したかのようにゆるく叫ぶイアン・ギランの声、そして彼はすべてが終わったかのようにゆっくりと「この曲はハイウェイ・スターです」と告げる。この出だしだけで、勝ちは決まった。

まだまだ全開ではないのだ。何せディープ・パープルと言えばリッチー・ブラックモア、リッチー・ブラックモアといえばディープ・パープルのリッチーはまだ何もしていないのだ。オープン・コードを少しかき鳴らし、トレモロをギュワンといわしただけ、曲に味付けをしただけだ。そして曲が始まるダーン、ダーン、ダンと言うキメのコードはジョン・ロードのキーボードだ。エッーー子供の頃このレコードに何百回合わせてエアー・ギターをやったか分からないが、冷静に聴くとこの曲のリフ、パワー・コードはジョン・ロードだ。マーシャルにブッこんだハモンドが最強すぎる。

とにかく昔の不良はこれをかけて、シンナー吸って、高層道路を走り回っていたのだ。そんな不良には絶対なりたくないと思った。

「ハイウェイ・スター」何がヤバいって、スタジオ録音盤よりもこのライブ盤の方が格段にいいのだ。当時スタジオ盤よりライブの方がいいということなど考えらなかった。いや、こんなこと考えてなかったか、まずこのライブにぶっ飛んで、じゃスタジオ盤はもっとすごいのかと聴いてみたら、「えっ」と拍子ぬけしてしまったのだ。

当時はそんな感覚だった。マジックが生まれているのだ。不思議である。バンドはこのライブ録音に乗り気でなかった。あの頃のロックのライブはうまく録音出来ず、薄ぺらな感じになってしまうことがほとんどだったから、アーティストはライブを出すことは、自分らの評判を落とすきっかけになると思っていたのだ。

ではなぜこんなすごい録音が出来たのか、バンドが最高の状態になっていたからだ。そして日本の機材、スタッフが良かったのではないかと僕は思う。バンドは別にこのライブ盤を作りたくないと思っていたので、日本側に無茶な要求をしているような気がする。何せ録音してもバンドがその音源を気に入らなければお蔵入りに出来るという条件が含まれていたのだ。出さないとしても制作費はかかっているんですけど、それは赤字になるということですか、そんなのよく会社の上司がハンコを押したと思う。いや、押してないでしょ。出さなかった時は現場の人間の首が飛ぶんじゃないですか。海外だとたぶん予算が通らないオファーをしているのだ。中村公輔さんの『ロックのウラ教科書』に、この録音に関わった大御所PAさん(音響担当の人)が“異常な本数のマイクをオーダーしてきたので何事かと思ったら、ドラムに大量のマイクを立てて驚いたと言っていた”と出てくるので、これがフランスとかの国だったら、この通りの要求をのんでいなかったのではないかと僕は勘ぐるのです。

 普通レコード会社はライブ盤なんか売れないと思っている。予算なんかかけたくないのだ。日本のレコード会社はそんな無茶な要求にもちゃんと答えたのだ。この日本人の心意気は今も変わらないですね。利益よりも情熱、なんとかあのディープ・パープルの来日に合わせた記念作を作りたいという思い。でも海外だとあのジェームス・ブラウンの名盤『ライブ・アット・アポロ』(これが一番のライブ・アルバムと答えるのも知識ある評論家的には正解です。これについてはまたの機会に書きます)でさえ当初はレコード会社は全く興味を示さず、ジャームズ・ブラウン本人がその費用を持った。これは原盤を持つということなので、最終的にはジェームス・ブラウンに多額の金を持たらす。これでジェームス・ブラウンは原盤を持つことのおいしさに気付き、ラジオ局を持つまでに至ったジェームス・ブラウン王国のきっかけになったのではないでしょうか。プリンスみたいなことをジェームス・ブラウンは先にやっていたのです。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジも一緒ですけどね。

レッド・ツェッペリンの名前が出たので、レッド・ツェッペリンのことを書きますが、ロックの王様というのはレッド・ツェッペリンです。もうこれは誰が何というと72年頃のロックの王様はレッド・ツェッペリンです。僕はザ・フーが命なので、フーがツェッペリンに負けていることは本当に歯がゆいことなのですが、ピート・タウンゼントも悔しそうに「あいつらは俺たちが出来ないことをやった。俺たちが本当は行く場所にあいつらは行ったのだ」と言ってます。

 

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