久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ボブ・ディランの「モキュメンタリー」『ローリング・サンダー・レビュー 』・・・でもボブ・ディランがアメリカとは、世界とは何なのか今だに一生懸命探しているのは本当のことなのです

 

ネットフリックス製作、マーティン・スコセッシによるボブ・ディランのローリング・サンダー・レビューのドキュメンタリー『ローリング・サンダー・レビュー マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』、謎に包まれたローリング・サンダー・レビューのことが解明されると思ったら、このドキュメンタリー、フェィクドキュメンタリーだった。

モキュメンタリーというジャンルがあるので、フェィクドキュメンタリーというのは失礼か、いややっぱモキュメンタリーと言う方が失礼か、同義語なんですけどね。ウッディ・アレンの『カメレオンマン』からモキュメンタリーが大好きなので、いいんですけど。

今は結構多いモキュメンタリー、その始まりを探すと偽物ヘヴィ・メタル・バンドの物語『スパイナル・タップ』の監督がモキュメンタリーと言い出したそうです。

モキュメンタリーのモとはモック(偽物)のモ、ロックで初めてモック(偽物)と呼ばれたのはニュー・ヨーク・ドールズです。イギリスのテレビ番組「オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」に彼らが初登場した時に司会のボブ・ハリスに「モック・ロック(偽物のロック)」と言われたのです。テレビ番組の司会者が出演者をそうやって紹介するって、すごいでしょう。それくらいみんなロックに真剣だったわけです。司会者のボブ・ハリスはアメリカの偽物と言われていたイギリスのロックがついに本物となって、アメリカからその偽物が登場するようになったと言うことが言いたかったのでしょう。でもこの時のニュー・ヨーク・ドールズのテレビ放送を見た人たちがパンクをやりだすわけで、彼のアナウンサーとしての地位は下降していったのです。

ローリング・サンダー・レビューがスタートする1975年にロックは大変換期を迎えていたのです。

このサイトでは、ロックがどう変化したかと言うことを書いているので、これを読んでいる人は分かっている人も多いかもしれませんが、ロックの歴史というのは、ロックンロールというダンス・ミュージック、ポップ・ミュージックに始まって、それが67年以降カウンター・カルチャーとして需要な意味を持ち出して、「僕らのやっている音楽をロックンロールと言ってられないよね、何か他の言葉が必要だね」とピート・タウンゼントが雑誌ローリング・ストーンのヤン・ウェナーに相談して、「じゃ、これからはロックと呼ぼう」と決めたのです。要するにチャラチャラ、ロール(踊って)してられないぜということなのです。

これに批判的な人もいて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは「この頃はロック(頭でっかち)の奴ばかりで、ロール(踊る奴が)少ない」と言ったりするわけです。

賛同する人も多くレッド・ツェッペリンの「天国への階段」のキメフレーズは“ロールするんじゃないよ、ロックしろ”です。

海外では死語になっているロックという言葉を今も日本では使っているのは日本で、ロックが一番花開いたのはこの頃だからです。僕が6、7歳の頃、長髪でベルボトムのボロボロのジーンズを履いているヒッピーというかフーテンの人が本当に多かったです。いまの日本の子供たちが写真の時にこのヒッピーの象徴であるピース・サインをするのはそこまで浸透したからでしょう。

元カンのダモ・鈴木さんは「日本の若者がいまだにピース・サインをするのはフリー・メイソンの陰謀だ」と言ってましたけど、絶対そんなことはないです。日本は敗北したことがないからです。日本の人たちはロックンロールからロックとなった革命の音楽が敗北したと言うことを知らないのです。

 

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tags: Bob Dylan ボブ・ディラン

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