久保憲司のロック・エンサイクロペディア

トム・ヨーク『ANIMA』・・・ANIMAって何かというとユングです。トムはフィードバック(無意識)を自分のものにしようとしてきたのです

 

『サスペリア』のサントラがよくなかったので、トム・ヨークも終わったなと思ってたら、ソロ3作目『ANIMA』が、レディオヘッドの新作はこうなるべきという作品でした。

『キッド ・A』から20周年、ついにトム・ヨークもダンス・ミュージックを自分の物にしたなと思ったのです。

彼ほどの才能がある人も、自分のスタイルとは違ったものを作りあげるのって20年も時間がかかってしまった。

レディオヘッドを作るまでは、幼年期から大人までの経験が全部詰まっているから、そこから次に移行するのに20年もかかるというのは当たり前のことなのかもしれません。

ピカソやマイルス・ディヴィスみたいに一人でやっていたら、スタイルを変えるのは容易かもしれませんが、バンドは一人じゃないんで、色々大変だと思います。ビートルズみたいに解散したり、ストーンズのように「ブルース命だぜ、ロックンロール最高! 」という安全策を取ろうとしたりするわけです。

デヴィッド・ボウイなんかは一人だったのでうまくやった方かもしれません。デヴィッド・ボウイも『ロウ』や『ヒーローズ』『ロジャー』の頃にブライアン・イーノにそそのかされてトム・ヨークのやり方をやろうとしたがうまくいかず(うまくいっているのもあるが)、「こんなのやってたら食えなくなるぞ」と『レッツ・ダンス』をやるわけです。

デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノがどうやって音楽を作っていたかと言うとカードにコードを適当に書いて、ブライアンがカードをめくって出て来たコードを読み上げ、演奏者はそれに合わせて演奏してました。

トム・ヨークがここ20年間一生懸命やっていた方法を70年代にやっていたのです。

トムがどうやって無意識の音楽を作っているかと言うと、リズムマシーンやシンセに適当に音を打ち込んで、偶然生まれた音をヒントに曲を作っていく方法です。

みなさん何をやっているかとというと無意識で音楽を作るということです。

無意識、ダダの時代からずっと芸術家が憧れる手法です。

ピート・タウンゼントがギターを壊したりしていたのもこれをやろうとしていたわけです。

ギターのフィードバックはこの無意識芸術の一番の成果です。

イーノは70年代にビデオ・カメラをTVに向けて、映像をフィードバックさせて「これが70年代のジミ・ヘンドリックスだ」と言ってました。70年代のイーノはこんなことやってたんですよ。後テレビを縦に置くだけの作品とか。70年代のテレビは横位置の画面なんですけど、それを縦に置いて、その位置でちゃんと見える映像を撮って写すだけで、なんかかっこよかったのです。

自分ではコントロール出来ない無意識の音楽を一番最初に録音したのはビートルズの「アイ・フィール・ファイン」です。ジョン・レノンがアンプにギターをたてかけたらAの音のフィードバックがスタジオ中に鳴り響いて、普通は「うるさい、ヴォリューム絞れ」と怒られるのをポール・マッカートニーが「これだ!」とキーが同じAの「アイ・フィール・ファイン」のイントロに使うわけです。現代のすごいノイズの音に慣れた耳にはしょうもない音かもしれませんが、ギターのフィードバックの音があのファンキーなイントロに繋がる感覚は当時は衝撃だったと思います。ジミ・ヘンドリックスがフィードバックを自由自在にコントロールして音楽の味付けに使う2年前の話です。ビートルズは不思議なバンドで、なんでも一番最初にやってしまうんです。

こういう挑戦は変化の時代60年代には盛んだったのですが、売れないからみんなやらなくなりました。こういう実験がまた盛り上がるのはパンクの誕生の時と同時期です。スロッピング・グリッスル、キャバレー・ヴォルテールといったバンドが面白いことをやりだしたのです。こういうのが最終的にはドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンまで繋がっていくわけです。

 

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