久保憲司のロック・エンサイクロペディア

プライマル・スクリーム『ローデッド』 「準備は万全だぜ、パーティーしようぜ、楽しもうぜ」-あのピーター・フォンダのサンプリングのような日はまた来ないのでしょうか

 

アンドリュー・ウェザオールが亡くなった時、不謹慎なことですが、アンディの代わりになるDJになったらいいやんと思った。

こんなご時世だからユーチューヴァーにでもなろうかと思ってるような周回遅れの俺が何を言ってるんだと怒られると思いますが。

はっきり言うとアンディの代わりはクルエル・レコードの瀧見憲司なんですけどね。

瀧見くんがDJをしている時にアンディがずっと横にいて、DJ終わった時にアンディが横に来て「あれとあれ、なんてアーティストのレコードだ」と訊かれたということを嬉しそうにFBか何かに書いているのをみて、やっぱ瀧見くんが次のアンディなんだなと思った。

『アシッド・ハウス ザ・トゥルー・ストーリー』と言うアシッド・ハウスがどうやって誕生したかと言うのを関係者の証言だけでつづっていくオーラル・ストーリーの本があるんですけど、その中のアンディの証言を読んでいるとアンディって実はたいしたことなかったんだなという気がする。

あのアンドリュー・ウェザオールにたいしたことないってぶっ殺されますが、でも『アシッド・ハウス ザ・トゥルー・ストーリー』という本の意図をよく理解していたアンディは自分の初期のバカな部分をたくさん喋っていて嬉しくなる。

あーアンディも実はよく分かっていなかったんだなという部分が出ていて、「俺もあの時、ああしてればDJになれたかも」と思ってしまう。だって本でアンディはこんなことを喋っている。

 “元カノのニーナ・ウォルシュとイビサに行った時、スペース(クラブね)の庭(暗いダンス・フロアーより、テラス・ガーデンの方が盛り上がる。飛行場の近くにあるので、DJのミックスより、飛行機の離着陸の音に客は歓声をあげる)でDJがスミスのハウ・スーン・イズ・ナウに合わせてとんでもないレコードをかけていて、「このレコードはなんだ?」とDJに訊くと「“Los Nifios Del Parque”リエゾン・ダンジェルーズ」と言うのを俺は必死に紙に書いた”

というのを読んで「えっーアンディ、リエゾン・ダンジェルーズを知らんかったの」とびっくりした。俺、リエゾン・ダンジェルーズのライブもICAで観てるでと思った。あーあの頃、俺もロンドンでDJ初めてたら、俺もDJなれたのかなと思った。

いやー無理か、アシッドハウスが始まった頃、僕は一番最初のアシッドハウスのパーティー、シュームに行って、こんなフットボール・フーリガンが集まるクラブはやばいやろと10分くらいで退散した。本に書いてあったが、シュームが始めたニコちゃんマークの復活(そしてアシッドハウスのシンボル・マークとなった)は僕の友達バンズリーのアイデアだったそうで、さすが昔のものを新しく蘇らせるバンズリーらしいアイデアだと感心したが、あの頃はフットボール・フーリガンが昔を懐かしんでいるのかとしか思えなかった。

 

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tags: Andrew Weatherall Liaisons Dangereuses Primal Scream 瀧見憲司

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