久保憲司のロック・エンサイクロペディア

キリング・ジョーク『黒色革命』 最低の音楽が流れていたディスコ。しかしそこはパンク、ニュー・ウェイヴたちが逃げ込めるシェルターでもあった

 

世界のロック記憶遺産100『パブリック・イメージ・リミテッド』で、彼らの傑作『メタル・ボックス』をディスコに影響されたアルバムとシンプルに書きましたが、ポスト・パンクと呼ばれるバンドの中で、本当にディスコとヘヴィ・メタルを合体させたバンドはキリング・ジョークです。

今の人にとってディスコというイメージがどういうものか分かりませんが(多分ダサいだと思いますが)、パンクが登場した時、ディスコというのは倒すべき象徴の一つでした。

なぜ倒すべき存在だったかというと、ちょうどパンクが誕生した今から44年前くらいなんですが、世界中の人たちがディスコで踊り狂った時代があったのです。踊り狂ったというか、誰も彼もがディスコに行きたいという時代があったのです。世界だけじゃなく、日本もそうでした。六本木なんかディスコ・ビルなんて呼ばれるビルがありまして、全ての階がディスコだったりしたのです。気が狂ってるでしょ。ちょっと前にカラオケ・ブームというのがありましたが、まさにあの感じで、誰も彼もが毎日3千円払って仕事終わりにディスコに行きたいと悶え苦しむ時代があったのです。

ディスコはそんな存在だったからマイノリティの象徴パンク、ニュー・ウェイブたちにとって倒すべきものだったのです。

でも不思議な現象もあったのです。ディスコは、ロック界から締め出しを食らっていたパンク、ニュー・ウェイヴたちが逃げ込めるシェルターの役目もしていたのです。

ロックの反逆児パンクの登場にロック・ビジネス、ライブハウスがどういう反応を示したかというと拒絶です。そりゃそうです、パンク、ニュー・ウェイヴはそれまでのロックをバカにし、反抗、下克上を企てたわけですから、そうなるのは当たり前です。でそんな彼らを守ったのがディスコなのです。

セックス・ピストルズの映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』で、主人公的な役割をするギターのスティーヴ・ジョーンズが逃げ込む場所の一つがディスコだったりするんですが、あれは当時のパンク、ニュー・ウェイブたちが置かれていた状況をよく表しているなと思いました。逃げ込んだ場所にはセックス・ピストルズの曲をディスコ調で演奏するファンク・バンドがバカぽい演奏を繰り広げているんです(でもさすが世界で一番最初にヒップホップに注目したセックス・ピストルズのマネジャー、マルコム・マクラーレンらしくなにげにかっこいいんですけど。のちにマルコムがマネジャーをするバウ・ワウ・ワウぽいファンクなんです)。そうディスコはシェルターだったのですが、そこで流れる音楽は最低だったのです。

 

 

でも、その中には革新的な曲があったりするわけです。ドナ・サマーの「アイ・フィール・ラブ」などのちの音楽を根底から覆す音楽が流れていた場所もディスコだったのです。

 

これらの音楽は、ラジオでも楽しめましたが、ディスコの大きなスピーカーで聴くと、それは今までのどんな音楽よりもヘヴィでファンキーでセクシーな音楽でした。逃げ込んだディスコでそれらを聞いたパンクに影響された若者たちは、これとパンクを合体させたらヤバいんじゃないと考える奴らも出てきます。その代表というか先駆者がキリング・ジョークだったのです。しかも彼らはパンクをやるのは当たり前しょ、ヘヴィ・メタル(この頃はまだヘヴィ・メタルという言葉が定着してませんでしたが)ブラック・サバス、レッド・ツェッペリンなどのハード・ロックをくっつけたらヤバいんじゃないかと、それまでの誰も聞いたことのない音楽を作ったのです。

 

続きを読む

(残り 2169文字/全文: 3661文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

tags: Killing Joke

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ