ロクダス

ロクダス 2020森保絶対宣言

文・写真=六川則夫

新年冒頭に、ロクダスは森保一絶対宣言をする。誤解をしないで欲しい。森保一監督絶対宣言ではない。あくまでも森保一個人にフォーカスしたマニュフェストである。

巷間伝えられるように、森保監督はその生真面目な性格が災いして、発信力が弱く、ボキャブラリーも豊富とは言い難い。外国人監督のような自己顕示欲もない。普段陰口をたたかないカメラマン仲間も、担当記者を差し置いて「面白くない」を連発する。面白くないのは、半分は質問する側にも問題があると思うが、ニュートラルな彼がそう感じているのだから、間違いではない。かく言う僕も、自然と監督会見から足が遠ざかっている。

それでもロクダスは断固彼を支持する。何に対してか。彼が体現するであろう日本サッカーの未来についてである。フル代表と五輪代表の監督兼任はおかしいとか、選手交代が遅いとか(この部分は異議なし)、3バックと4バックの整合性が見えない等々。両チームを指揮する中で見えてきた諸問題を、場当たり的に批判する記事が目に付く。現場に身を置く一人として、それらのほとんどは間違ってはいないと思う。記者としての当然の責務を全うしているに過ぎない。

ただ考えてほしい。日本サッカーの置かれた現状を。アンダーカテゴリーも含めて、海外組を抜きにしては日本代表の現在はない。選手召集にも困難な壁が立ちはだかる中で、代表の在り方と、その先を見ているのが、森保一である。東京五輪はJFAにとっても、森保自身にとっても通過点でしかない。勝手にメダル獲得と騒いでいればいいだけの話だ。誤解を恐れずに言えば、森保がこれから生きていこうとする世界は、「岡田武史」的なカオスに向かっている。

ここで歴代の日本代表を指揮した日本人監督を数名上げたい。彼らは横糸のみならず、縦糸となって日本サッカーの進化を次に繋げた人達である。長沼健の功績に関しては、紙数が尽きないので割愛する。三菱重工サッカー部の二宮寛、ドイツを中心としたモダンなヨーロッパサッカーを日本にもたらした人である。本人は早々とサッカー界から姿を消したが、彼の志は愛弟子森孝慈に受け継がれ、代表選手の環境面でのステータスをあげた。選手のプロ化を促進するため、自身が協会とプロ契約した最初の人である。

 

加茂周、暗黒の80年代後期、日産自動車の監督、実質的なGMとなって、日本のサッカーシーンを盛り上げ、Jリーグに繋げた。その彼が日本代表の監督に就任した時、コーチとして招聘したのが、岡田武史である。加茂のこの選択が、のちに日本サッカーを劇的に変えることになるとは、本人はおろか、当時取材をしていた僕も予測すら出来なかった。

 

そして岡田武史である。岡田はJFA=権力闘争から距離をおいて、今治にこれまで自分が紡いできた糸をしっかりと繋げている。岡田語録を引用するなら、接近・連続・展開して守・破・離に到達した。岡田はサッカー界から受けた恩寵=経験値を今治の人々と共有している。岡田の覚悟と実践は素晴らしい。自他ともに認める男前西野朗は、タイ経由でどこに向かうのか楽しみである。

そして森保一である。以下に述べることは、あくまでも僕の独断と偏見で、本人の意思、考えとは一切関係ない。

森保には帰るところがある。長崎だ。原爆が投下された広島、長崎で自身が率いるチームが親善試合を行った。僕はそこに彼の地元への強い意志と愛情を感じる。監督としてのミッションが終わった後、森保は地元に帰り、自身で紡いだ糸を長崎、広島に繋げていくのではないか。その時監督である必要はない。求められているのは森保一的カオスの構築である。選手として代表で戦い抜き、監督としても修羅場をくくった男しか見えない世界を、地元で具体的な形にして伝えていくのが、岡田武史同様、あなたの使命なのだ。

 

 

 

 

 

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