森崎和幸物語 第7章
「革命」と「事件」の差は何か。
例えば、平安時代に起きた平将門の挙兵は「乱」と呼ばれ、一方で源頼朝が反乱を起こした時は、まさに「革命」への端緒と言われた(もっとも歴史学的な「革命」の定義に、源頼朝の鎌倉幕府創設があたるのかどうかは、議論があるだろう)。それは、その行為が「正しいか」「正しくないか」ではなく、継続的に世の中を変革させているのかどうかに依る。
例えば、2008年の徳島戦で広島が見せた「3−4−2−1」フォーメイションは、形としては決して「新しい」わけではなかった。確かに佐藤寿人のような170センチそこそこの選手を1トップに据えることは、過去に例はほとんどない。ペトロヴィッチ監督は寿人にポストプレーではなく、ビルドアップからのパスによって裏を狙うことを要求。プラス彼自身が前線の3角形の頂点になることで「周囲を使う」楽しさを覚えたことで、大きな花を咲かせることになるのだが、それはまた、別の物語である。ここで語りたいのは、ただ3−4−2−1の形だけでは、とてもではないが「革命」などとは言えないということだ。徳島戦の素晴らしい内容は、むしろ森崎和幸の復帰によって中盤の守備が安定してきたが故、と捉えることもできた。
本当の「革命的」な出来事は、この徳島戦のスタイルをベースに進んでいた。2008年5月11日、博多の森。カズが、おそらくは意識せずに演出していた素晴らしき革命は、次の段階を迎えていた。そのきっかけは、ストヤノフである。
(残り 2355文字/全文: 2977文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
タグマ!アカウントでログイン
- « 次の記事
- 森崎和幸物語 第8章
- 前の記事 »
- 森崎和幸物語 第6章
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ