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青山敏弘物語〜逆境〜 第一章/前十字※無料

 

どうして、「あいつ」だったんだろう。

その想いは、19歳の青山敏弘の胸中から拭い去られることはなかった。2005年5月21日、Jリーグヤマザキナビスコカップ・対川崎F戦。青山敏弘は試合に出るどころか、メンバーにさえも選ばれることはなかった。

若者が「あいつ」と思ったその男は、ルーキー・森脇良太(現浦和)である。そして彼がポジションを与えられたのは、右サイドバックだった。

この時の気持ちを初めて青山から聞いた時、不思議だった。

どうして、そんなことを思うのだろう。

だって、右サイドは青山ではなく森脇の方が専門職だ。当時、背番号23を背負っていた2年目の青年は、ボランチが本職。どう考えても、青山を選択した方が不自然だ。

だが、若者はそうは思わない。

「僕は右サイドでも練習していた」

そこが全てだ。

実際、彼は1年前の4月29日、ナビスコカップの対横浜FM戦で右サイドで先発。45分で駒野友一(現福岡)と交代したものの、プロ初出場初得点を決めている。右サイドでのプレーには、手応えもあった。

とにかく、試合に出たかった。試合に出て、自分が何者であるかを証明したかった。

当時、広島のサポーターは若者たちに期待をかけていた。2002年にJ2降格したトップチームはJ1に復帰した2004年も思うような結果が出ない。しかし一方で、森山佳郎監督(現U-17日本代表監督)が率いる広島ユースは、2003年・2004年と連続3冠。高校2年生からプロ契約をかわした高萩洋次郎(現FC東京)をはじめ、高柳一誠(現山口)・前田俊介(現鳥取)・森脇良太・佐藤昭大(現熊本)・桒田慎一朗。年代別代表経験者6人の若者がトップチームに昇格した。さらにその下には槙野智章と柏木陽介(共に現浦和)もトップ昇格は確実と言われる逸材が揃い「彼らが成長すれば広島に黄金時代がやってくる」と大きな夢をサポーターは描いた。

だが、そのリストの中には、青山敏弘の名前はほとんどない。同期の吉弘充志はU-19日本代表の常連だったこともあり、また広島皆実高出身だということもあって、期待の声はあがった。だが、岡山・作陽高からやってきた無名の若者に対して期待する声は聞こえてこなかった。

だからこそ、彼は見せたかった。自分の力を。自分ができるということを。

反骨心。陽の当たるところにいる広島ユース組に対する反発心。

間違いなく、彼の心には存在した。

作陽高時代、広島ユースと戦う時に気持ちを剝き出しにして、まるで格闘技を戦うファイターのように戦いを挑んだ男である。絶対に負けたくない。絶対に勝ちたい。そんな想いに若者は突き動かされていた。

だからこそ、森脇の起用に対して、大きな感情が湧いてきた。しかも試合は1−4と完敗。森脇は対面の名手・アウグストに対して何もできず、爪痕も残せなかった。その姿を広島スタジアムのスタンドから見て、また違う感情が自分を襲う。

「俺が出ていれば」

あの時の青山が試合に出て、アウグストに対して何ができたか。おそらくは、森脇と同じような結果となった確率が高い。だが、当事者はそうは思わないものである。

「どうして、俺じゃなかったんだ」

翌日、吉田サッカー公園で行われたサテライトリーグ対神戸戦。雨が降っていた。地盤は間違いなく、緩かった。

青山は先発した。右サイドバック。皮肉なポジション。それをその時、自分自身でどういう感情として捉えていたのか。今はもう、青山自身、覚えていないだろう。ただ、僕はその時、彼を見ていた。いつもとはちょっと違う紅潮した表情は、はっきりと覚えていた。

燃えているな。そう感じた。

2分、自分のサイドで押し込まれた状態を打開しようと、相手ボールに対してアタックを仕掛けた。

身体を入れた。

その瞬間。青山は倒れた。その倒れ方そのものは、確かに妙な感じだったことを覚えている。

相手との厳しい接触があったわけではない。むしろ、普通のプレーにすぎなかった。

なのに、青山は倒れた。

「何か、足から力が抜けるような感覚に陥った」

後に彼はそう述懐している。

リアルタイムに見ていた時は、それほどたいしたことではないと思っていた。しかしその2分後に起きた異変が、事態の深刻さを教えてくれた。

ボールを蹴ろうと右足をあげたその時、軸足の左足がぐらついた。

ドサッ。ボールが弾かれる音ではなく、人間が地面に叩きつけられた音だ。

青山は倒れた。観戦していた僕の目の前だった。

嫌な予感がした。1996年、上村健一。2003年、駒野友一。あの時のような不自然さが、重大さが去来した。

その時はすでに、ケガの種類が推察できた。だが、言葉にするのが怖かった。

ドクターが入る。もちろん、プレー続行は不可能だ。

担架でクラブハウスへ。木本実トレーナーが応急処置。膝を触る。何が起きていたか、もうわかっていた。だが、何も言わない。いや、言えなかった。

試合中、青山はクラブハウスのメディカルルームで、一人。ずっと仰向けに転がっていた。

「どうして、木本さんは何も言ってくれないんだろう」

不安が広がった。一つの仮説が胸のうちに渦巻いた。

いや、きっと違う。そうじゃない。そんなわけがない。

否定しても否定しても、疑いは消えない。

試合が終わった。木本トレーナーが戻ってきた。

意を決した。

「俺の膝、どうなったんですか」

一瞬の間。

トレーナーもまた、意を決した。

「……たぶん、前十字。切れてると思う」

仮説が当たった。

息が止まった。

涙が、落ちた。

2005年5月22日。青山敏弘の運命はこの日、大きく転回した。

 

〜第2章に続く〜

 

 

………………

今、チームの苦境を一身に背負っている感がある青山敏弘主将。だが、彼のサッカー人生を振り返ると、そのほとんど全てが逆境から始まっている。

苦しさを力に変えることのできる紫のキャプテンが、どんな苦しさから這い上がってきたか。

その物語を改めて綴ってみたい。そこにおそらく、今の厳しさを打開するヒントが眠っているのかもしれない。

※第2章からは有料記事になります。

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