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取材の必須ツール「iPadPro9.7インチ」~記者の毎日 第2回(無料)

 

①メモしながら録音することがスムーズ。

取材をしている時、どうしても「メモ」と「録音」は必須事項だ。録音だけでは「テープ起こし」の時間がかかるし、すぐにコメントを書かねばならない時はまどろっこしい。メモだけではコメントの「正確性」に欠け、「言った・言わない」問題が生じる。だから記者の多くは、どちらもできるようにノートでメモしながらレコーダーを回すのだが、それが面倒極まりない。考えてみれば、わかる。左手でノートを持ち、右手でペン。ではレコーダーは?苦肉の策で、左手のノートの下にレコーダーを挟んでいるのが、これではメモも録音もやりづらい。ところがiPadであれば、録音アプリとメモアプリを同時に起動させておけばいいだけのこと。シンプルである。

さらに僕が愛用しているメモアプリ「Notability」であれば、手書きメモも録音も同時にできる。それはアップル純正のメモもできるのだが、録音の質が今1つ。定番のデジタルメモ「EVERNOTE」でもいいのだが、インターネット接続が求められる場面が多くて、wifiモデルのiPadProを使っている僕には使いづらい。それに情報を全てiCloud(アップル純正のインタネット・ストレージ。これも素晴らしい使い勝手の良さがあるのだが、それは別稿にて)で集約させているので、「EVERNOTE」よりはiCloud保存が基本である「Notability」の方がやりやすい。

さらにこのアプリの素晴らしさは、メモと音声がリンクしていることである。

実際の使用例を示した動画を検索したがなかなか見つからず、また自分で撮影しとたものについても、こちらのサイトにアップするのは容量の関係等で難しい。言葉で説明するのも大変なのだが、要はメモした手書きの部分に録音の音声がリンクし、再生時に手書き箇所をタップするとその時に録音した声が再生されるのだ。メモが読みづらい時、一部分だけのコメントが欲しい時、あるいはテープ起こしの時の聞き直し・確認が、タップ一発でできてしまう。これがどれほど、記者の仕事に役立つか。いや、記者だけではない。会議の備忘録をつくる時や営業時のヒアリングから企画書を作成する時にも絶対に有効活用できるはずである。

 

②事実上、無制限にメモがとれ、検索が楽

アナログノートで最も面倒くさいのは、どこに何が書いてあったかを探す手間である。取材ノートは100pなど、あっという間に使ってしまい、1年間に何冊、いや何10冊使うかわからない。その大量のノートの中で、たとえば森崎和幸のコメントを探そうと思えば、よっほどキレイに書いてあるかインデックスもしっかりとつくっていないと、すぐにはわからない。まして、過去のコメントを探ろうと思えば、もはや宝探しの様相を呈してしまう。

だが、デジタル化していれば、検索ウインドウでキーワードを入れれば、あっという間に検索完了だ。もちろん、タイトルなどにしっかりと「森崎和幸」など、わかりやすい言葉を入れておく必要はあるが、アナログノートにインデックスを作成する手間を考えれば、とんでもなく平易であることは論を待たない。もちろん、ハードディスクやクラウドに保存するのであれば、メモは事実上、無制限に保存することができる。

保管にしても、ノートであれば本棚を占領してしまうことになるが、デジタルであればiPad一台で全く問題はない。セキュリティにしても、アナログよりもデジタルの方が強固だ。ノートはもし落としてしまったらジ・エンドだがデジタルはパスワード、最近では指紋認証というハードルがある。もちろん、絶対的な安全対策とはいえないが、それでもアナログよりははるかに安全だ。

 

③マルチ画面が使えることで、テキスト化がやりやすい。

パソコンの世界では当然の機能だったマルチタスクだが、タブレットでは難しい。それが常識だった。だが、iPadProの登場で事情が変わったと言える。画面の端を指で引っ張ると左右で画面を二分割、それぞれの画面で違うアプリを立ち上げて、同時に作業ができるわけだ。左にメモアプリで原稿をテキスト化し、右には手書きメモを開いてコメントを確認し、時には音声で正確を期す。そういう仕事になれると、もう元には戻れない。

 

どうもこの世界では、こういうデジタル機器を使うことを「よしとしない」あるいは「気恥ずかしい」という想いが拭えない傾向がある。「私はアナログなので」と言いながら、デジタル機器を敬遠している記者も決して少なくない。だが、それを自嘲気味に言うのであればともかく、その言葉の裏側に「時代に流されない私」というような、よくわからないプライドが見え隠れすることもあるのは、不思議なことだ。だったら、パソコンなど使わず、今も手書きで入稿すればいい。編集者にテキスト化の負担をかけ、入稿のために原稿を郵送するだけの時間をかけてもなお、「この記者の原稿が欲しい」と言わしめるほどにならないといけない。実際、今も小説家の中には、手書きで入稿する大家もいると聞く。でも、大家でもない記者にはたして、そんなことができるのか。

「新しいものではなく古いものがいい、古いモノこそ本物だ」と言い出したら、それこそ「印刷」という技法にも疑問を投げかけねばなるまい。万年筆にしても、発明された登場はいろいろと批判を受けたようだし、ボールペンなどもそうだろう。小説家がかつてモンブランやパーカーの高価な万年筆を愛用し、自分の名前をつけたオリジナルの原稿用紙をつくったのは、もちろん「ステータスシンボル」という部分がないとは言わないが、それよりも何よりも「使いやすい」からだ。そして、その使いやすさのためには、価格が少々(という言葉が、モンブランの万年筆にふさわしいかは疑問が残るが)高くても、それは厭わない。肝心なのはツールではなく、表現している内容そのものだ。それができれば、別にツールが古くても新しくても、高価でも安価でもいい。ただ、表現するためのツールにストレスをどれだけ減らすか、そこを考えるからこそ、ツールにこだわるのである。

なのに、記者が自らの「武器」である筆記用具や取材ツールに対して、何も考えずに100円均一のノートとボールペンを使っていて、いいのか。あらゆるものを試したあとに行き着いたのであれば、それはそれで素晴らしいし見識であるが、ほとんどはそうではあるまい。パソコンについてはセキュリティの問題や独自のアプリもあるだろうから、会社支給でも仕方ないが、それ以外のツールは自由に選べるはず。何もかも会社から与えられるものを使っていて、自由な発想や独自の視点が生まれるか。僕は、そうは思わない。自分にそういう視点や発想があるとは決して思っていないが、そこに辿り着くためにツールにもこだわりたいとは、思っている。

iPadProは、僕にとっての「必須ツール」であって、他の記者も使うべきだとも思わない。だけど、僕はここにたどりつくまで、試行錯誤を繰り返した。その試行錯誤の結果として辿り着いた自分の必須ツールを大切にしたいと思っている。

 

 

 

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