青山敏弘物語〜逆境〜 第11章/初ゴール
もう、俺の先発はない。
G大阪戦は俺のせいで負けた。外されても当然だ。だけど、絶対にチャンスはくる。このままじゃいられれない。
決意が全身を覆っていた。
だが、ミハイロ・ペトロヴィッチの信頼はガンとして揺るがない。2−3で敗戦したG大阪戦の2日後、千葉県成田で行われた前日練習でも青山敏弘は翌日の対鹿島戦に向けての主力組に入った。指揮官は、何にも声をかけない。起用法で、自身の気持ちを伝えた。信じているという思いを伝えた。
僕たちは、歴史を知っている。
2006年8月26日、つまりこの翌日の対鹿島戦で、青山は強烈な40mドライブシュートを叩き込み、プロ初得点を記録したこと。この試合に勝利したこと。そこからの15試合で9勝2分4敗という快進撃を演じ、広島は前半戦の10試合勝利なし(4分6敗)という惨状からの奇跡的な巻き返しに成功してJ1残留を果たしたこと。
だが、当時の現実はどうだったか。
第19節(G大阪戦)終了時点で広島は15位。自動降格圏の17位とは勝点5差、入れ替え戦圏内の16位・京都とはわずか1ポイント差だった。ペトロヴィッチ監督就任後の7試合で2勝5敗11得点14失点。点は確かにとれるようになってはいたが、失点数は平均2.00と崩壊寸前の状況だった。実際、広島は清水・大分・G大阪と3連敗中。悠長に「新しいサッカーにチャレンジしているのだから、時間がかかる」などと言ってはいられない。落ち始めたら、あっという間。残り15試合で勝ち点5差など、あってなきようなものだ。
正直に言おう。
僕はここで青山を使ってはいけないと思った。
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