サポーターとチームが勝利を呼び込む理屈
ほっとした。
もちろん、清水戦の勝利である。
ただ、僕自身は勝利もすごく嬉しいのだが、もう一つの嬉しさもまた、存在していた。
「よう、来てくれたね」
この言葉は、2000年まで2年間サンフレッチェを取材した後でカープ担当になり、今季は関東方面の試合に限り。サンフレッチェを再び取材しはじめた記者が思わず口にした言葉である。この言葉の主語は「サンフレッチェのサポーター」だ。
彼が取材していた当時は、サンフレッチェの観客動員数が最低レベルに落ち込んでいた時期である。データでいえば1999年が9377人/平均で2000年が8865人/平均。1997年の6533人/平均と比較すれば増えてはいるが、今とは比較にならない数字である。
それでも、ホームゲームはまだいい。悲惨だったのはアウェイだ。今のように広島から数多くのサポーターが詰めかける習慣もなければ、関東や関西のサポーターがまとまって応援してくれるわけでもない。スタンドには、広島を応援してくれる人もいるにはいたが、全くの少数派だった。まず、紫のシャツを身にまとっている人もほとんどいなかった。関東のサポーターがメーリングリストで連絡をとりあい、強い結びつきをもって応援するようになったのは、2002年のこと。それまでアウェイの地での紫は、わずかな点でしか存在せず、面となって選手たちをサポートする雰囲気もなかったのだ。
当時のことを振り返ると、今の状況は涙が出そうになる。くだんの記者とはあの頃、いつも一緒に行動しており、日本平でも共に取材した。声での応援というサポートの力がほとんどない状況でも選手たちは必死に戦い、そして敗れる。このスタジアムで15年間も勝利ができなかった事実はよく知られているが、その年・その年で、選手たちは必死に戦っていた。ただその戦いを、多くのサポーターが知らなかっただけなのだ。
その事実を覚えているだけに、アウェイゴール裏の2階席を埋めた紫のサポーターの姿に、彼は驚きを隠せなかった。「すごいよね」。もちろん、関東での試合でも同じように紫のサポーターは詰めかけているし、新潟でもそうだ。だが、かつて数人の声出しサポーターの前で選手が挨拶している姿を見た日本平だったからこそ、感慨もひとしおだったのだ。
サンフレッチェ広島が積み上げた歴史は、無駄ではなかった。
しみじみと、そう思うことができた。
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