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青山敏弘物語〜逆境〜 第13章/悲劇への過程

カズと共に2007年の悲劇を知る数少ない人材が青山敏弘だ。当時の悔しさは、切なさは、今も記憶に刻まれている。

 

トルコ・アンタルヤでの広島は、目を見張る成績をあげた。

ブルガリアリーグでトップクラスの実力を持つリテクスと引き分け。ペトロヴィッチ監督の古巣であるシュトルムグラーツ(オーストリア)戦では森崎浩司・柏木陽介・佐藤寿人・田村祐基のゴールで4-1と快勝。ウクライナのチェルノモレッツ・オデッサ戦は0-1、浦項戦では1-2で敗戦したものの、ポーランドの名門でありカップ・ウイナーズカップ(後にチャンピオンズリーグに統合)では決勝進出を果たしたこともあるグールニク・サブジエには2−2で引き分けた。初めての欧州キャンプで、ほぼ中2日、時には連戦もあるという過密なペースで練習試合を行った中で、チームは実績を積み重ねた。「良すぎる」と指揮官が首をひねるほどの出来だった。

だが、宮崎キャンプでは様相が変わった。J1のチームだった大分戦では1-2で敗戦。当時J2だった仙台戦では1-0で辛勝。若手も0-3で完敗した。練習試合とはいえ、あまりに低調な出来。当時、それを「疲労のため」とレポートした。確かに選手たちに対するトレーニングの質量の烈しさは凄まじく、トレーニングマッチの日も翌日も普通に2部練習だった。疲れていないわけがない。だが、本来であればここで、戦術的なベースをさらにレベルアップさせ、若手のクオリティをあげるための施策を打つべきだったのかもしれない。疲労の極みから何かを生み出すこともあるが、極度の疲労は戦術を仕上げる中では不向きだ。アタマが回らなくなるからだ。ただ、それも今思えば、という結果論である。

例えば戸田和幸は「よいコンディションに持っていければ、チームとしてやるべきことに不安はない。昨年のこの時期のような、迷いなどもない。疲れてくると、どうしてもアタマの回転も鈍くなってくるけれど、だからといって、やるべきサッカーを忘れているわけではないから。あっという間に開幕がやってくる。今年は、楽しみの方が大きい」と前向きに語った。森崎和幸は「トルコでやったサッカーができれば、うまくいけば優勝争いもできると思う。ようやく「自分たちのサッカー」が一つのスタイルとして確立できたと思うし、そこに迷いもない。自信を持って、リーグに臨める」と自信を口にした。

彼ら中心選手の言葉どおり、開幕のFC東京戦では4−2と快勝。だが、ここからは思惑どおりにはいかない。

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