【緊急集中連載】ミハエル・ミキッチ物語 Part.2
時間は2004年まで時間を遡る。
ディナモ・ザグレブでの彼は栄光に満ちていた。1999年、オズワルド・アルディレス(かつて清水で指揮をとったこともあるアルゼンチン人監督)によって右サイドへとコンバート。FWというポジションにプライドを持っていたミキッチは違和感を覚えたというが、結果としてコンバートは成功。数々のタイトルをクラブにもたらし、勝利の歓喜は次々と訪れた。そうなると、次へのステップを人間は求めたくなる。2004-05シーズン、彼はドイツに戦いの場を求めた。ブンデスリーガ1部・カイザースラウテルンへの移籍である。2005-06シーズン、ドイツに順応したミキッチは右サイドのポジションを獲得。しかしこの時、チームは2部降格の憂き目にあった。
カイザースラウテルンはミキッチの可能性を信じ、2部でもプレーしてくれないかとオファーする。しかし、当時のカイザースラウテルンのサッカースタイルが自分にフィットしていると感じられなかったミキッチは「このクラブでプレーするイメージが湧かない」と退団を決意する。しかし、自身のステップアップにつながるような移籍は難しい局面に陥った。
俺はどうすればいいんだ。
悩み、苦しむ。しかし、26歳の彼に指針をくれた人物がいた。チアリコ・スフォルツァ。スイス史上最高のMFと言われている名手で、カイザースラウテルンが1部昇格即優勝を果たした1997-98シーズンの中心選手。偉大なるスフォルツァは、自身の選手生活の晩年を同じクラブで過ごしたミキッチにこんな言葉を贈った。
「ミカ、二歩進むためには一歩引くことだ。前に進むために戻ることも重要なんだよ」
胸に突き刺さった。
そうだ。常に階段を登り続けることを考えるのではなく、上に進むために一度、坂をおりていくことも大切なんだ。そうすることで見えるべきものもあるんだ。
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