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【SIGMACLUB 7月号発売中】馬渡和彰/家族あればこそ※無料立ち読み版

夫と妻を包む現実。涙が止まらなかった

 

「もし、家族がいなかったら、僕は鳥取の寮に入るはずでした」

当時を振り返る。

「でも家族がいるから寮に入るわけにはいかず、部屋を借りないといけなかった。家計は赤字。奥さんにも働いてもらった。かといって、親に仕送りなんて頼みたくない。だからこそ僕は、甘い環境に身をさらすことはできなかった。上に上がるしか、状況を変える方法はなかった。

家族をもっていたから、必然的に先輩たちと行動を共にすることも多くなった。倉貫一毅さんや岡本達也さん、小針清充さん、戸川健太さんなど、Jリーグでも実績を残してこられた先輩たちと食事をさせてもらったり、たくさんの話を聞くことが出来た。

もし同世代の選手たちと一緒に寮に住んでいたら、きっと馴れ合いになっていた。愚痴もこぼしあっていただろうし、上を目指すんだという習慣が身につかず、貪欲になれなかったかもしれない。最初から広島のような環境に身を置いて、1年目からある程度のお金をもらえるような立場だったとしても、向上心を見失い、落ちていくだけだったかもしれない」

鳥取でのスタートは、自分自身にとって良かったんだ。

そう言い聞かせて馬渡は、前を向いた。

だが、彼がもし自分1人だったら、きっと違った発想になっていただろう。倉貫のようなキャリアのある選手に教えを請おうという態度にもなれなかったかもしれない。自分のためにやるという発想だけでは、プロの世界は厳しい。守るべきものがある者は強い。

「相当にきつかった。ケガが多かったから、何回も挫折しかけました」

それでも、彼は膝を折ることはなかった。たとえば膝の半月板を手術した時のこと。東京にある国立スポーツ科学センター(JISS。佐々木翔も昨年、ここに通った)でリハビリを行ったのだが、ここで彼は日本を背負うトップアスリートが必死にリハビリしている姿を見た。

「たかが、J3の選手が必死にならないで、どうするんだ。僕は何をやっているんだ。もっとやらなきゃいけないんじゃないか」

そう素直に思えたのには、理由がある。

尾崎豊の名曲に「ダンスホール」という曲がある。その中で尾崎は、そのダンスホールで出会った少女が「お金が全てではないなんて、そんなにきれいには言えないわよ」とつぶやくシーンを描写している。まさに、そのとおりなのである。

筆者も若い頃、水道やガス、電気などのライフラインの全てが止まってしまった経験がある。公共料金が払えず、暖房もない真っ暗な部屋で夜通し過ごしたこともある。そういう人生を歩いた者にとって「お金が全てではない」という言葉は、綺麗事にも聞こえる。

あの時、筆者は1人だからこそ、貧困に耐えることができた。だが、馬渡には家族がいた。リハビリに費やす費用は自己負担。1カ月半も続くと厳しい。少しでもコストを安くしたいと、実家から通った。そうせざるをえなかった。

愛妻はもともと、モデル志望。夢をおって、日々を過ごしていた。だが彼と結婚し、子どもを授かる中で自分の夢を諦め、馬渡との人生を選択した。そこには、相当な覚悟があったはずである。それでも厳しい現実の中で平静を保てず、2人の間で喧嘩もあった。何度も何度も、泣いた。夫も、そして妻も。

 

 

(詳しくはは発売中のSIFMACLUB7月号で是非、ご覧下さい)

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