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森崎和幸物語/第6章「ミシャシステムが誕生した日」

2008年の対熊本戦でカズが怒りを表明したのは、絶対的な危機感の存在があった。2003年、内容も結果も図抜けていた第1クールが嘘のように失速し、最後はあやうく昇格を逃しかけたJ2での体験。心に血を流し、チーム崩壊の直前まで追い詰められた経験があるからこそ、チームの厳しい状況に黙っていられなかった。

当時を経験している選手は、下田崇、森崎和幸、森崎浩司、李漢宰、服部公太。下田は2008年シーズンはサブにまわり、ハンジェは2003年の時には決して「主力」とは言いがたかった。5年前の経験をピッチで生かすことのできる選手は、森崎兄弟と服部しかいなかった。だからこそ、カズは自分の不調を承知の上で、厳しい言葉を発した。

だが、4月29日の対徳島戦まで、中2日。修正の時間は、あまりに少ない。前日練習ではサブ組に入っていたこともあり、カズは「明日の先発はない。次の山形戦はホームだし中3日。ここに全てを賭ける」と考えていた。

だが、ペトロヴィッチ監督(当時)はその日の夜、考えに考えていた。チームがうまくいっていないことは、指揮官自身がわかっている。何かを変えねばならないことも、十分に理解していた。時間はない。トレーニングでも試せない。それでも、やらなきゃいけない。

浮かび上がってきた存在。それが、森崎和幸である。

後にペトロヴィッチは、こんな言葉を残してくれた。

「熊本戦での彼は、一見するといいプレーをしていたとは思えないかもしれない。だけど、チーム内で大きな存在感を見せつけていた。徳島戦もいける。彼自身のそんな想いも感じていた。私はこう想っている。カズが特別なプレーをする必要はない。カズのプレーが、他の選手たちの素晴らしいプレーを引き出してくれるんだ」

これこそ、森崎和幸の本質である。かつて浩司が「カズと一緒にやれば、どんな選手だって上手くプレーできる」と言ったことがあるが、この本質を指揮官は理解していた。だからこそ、彼がやろうとしているサッカーには、カズが不可欠だったのだ。

徳島戦当日の朝、ペトロヴィッチ監督はカズに声をかける。

「試合に出られるか?」

少し、驚いた。だが、異存はない。

「しっかりとプレーしないと、口だけの男だと想われる」

決意を固めたカズは、朝の散歩の時、選手たちに声をかけた。かけた言葉はそれぞれ違っていたが、方向性は1つ。

「もっと前に行こう。自分の役割や強みを、気持ちよく出して、サッカーしていこう」

カズは他の選手たちが、勝利しないといけないという重圧に耐えるかのように、本来の特長を押し殺して守備ばかりしているように思えた。不安を抱えながら、苦しそうにサッカーをしているように感じた。その気持ちを一掃させ、本当に広島のサッカーをやりぬこう。そう訴えかけたのだ。

一方、ペトロヴィッチ監督も開き直った。就任前、織田秀和強化部長(現ロアッソ熊本強化部長)と共に語り合った理想のフォーメイションは3−4−2−1。広島の監督になってからも何度か試してはみたものの、その後は封印していた形をトレーニングなしでやる。彼もまた、本来のやりたいサッカーを思い出した。

ペトロヴィッチサッカーの理想は、極端に言えばほぼ全員がMF的な選手で占められることにある。足下の技術に高く、パスを出せ、コンビネーションも使えて、攻守に貢献できる。そういう選手たちだけで、チームを構成したいのが、本当の彼の意志だ。だが、現実はそうはいかない。点をとるという仕事はやはりストライカーの専売特許であり、守備も本職のCBの持つスキルをそう簡単には身につかない。だが、戦術的な革命児は、ほぼ不可能なやり方にあえて挑戦したいと思っていた。

2トップにしていたのは、ウェズレイと佐藤寿人という突出したストライカーが2人いたから。その名残でここまで2トップを採用してきたが、そこを一人にする。選択は寿人だ。ただ、彼にはゴール前だけの仕事ではなく、中盤におりて起点をつくったり、周りを動かす役割も要求した。

佐藤寿人のような小柄な選手を1トップに据える発想は、それまでの日本にはなかった。だが、指揮官に迷いはない。

「ヒサはターゲットマンではない。後ろからボールをつないでコンビネーションを駆使する中で、プル・アウエイの動きでスペースをつくって、そこで裏をとる。自分の特長を真ん中で出してくれればいいんだ」

寿人の後ろには、裏に飛び出す動きに長けた森崎浩司とアイディアの宝庫である高萩洋次郎を置く。これも指揮官がずっと温めていた発想だ。そして日々の練習の中で、選手たちがこのフォーメイションを組んでも、やるべきスタイルを貫ける能力を持っていることにも自信があった。ただ、1トップ2シャドーに加えて両サイドも前線に張るような攻撃性を発揮しようとする時、その後ろに戦術眼に優れ、リズムを構成できる選手が必要になることもわかっていた。ペトロヴィッチの見立てでは、それはカズしかいないのだ。

この試合で初めて、カズと青山敏弘はコンビを組んだ。青山にとっては、プロに入った時から憧れていたカズの存在。「いつかダブルボランチを組みたい」と願っていたのに、それは様々な理由で実現していなかった。練習でもほとんど組んだこともなかった。だが、不思議と彼に違和感はなかった。

「カズさんの背中を見て、僕は練習を続けてきた。確かに試合でコンビを組んだのは初めてだったけれど、きっとこういう形になるだろうというイメージを持っていたんです」

その青山は、試合前にカズが言った言葉に驚いたという。

「試合開始10分まで、前からボールをとりにいこう」

そんな発想は、今までチームになかった。広島はボールを失えば、まずしっかりとブロックをつくって相手の攻撃に対して構えるのが基本。だが、カズはその基本をこの試合の立ち上がりについては崩そうと言ってきたのである。

「大丈夫か。いや、カズさんが言っていることだから」

カズはこの思いをキャプテンを務めていた寿人に相談し、同意を得ていた。そして試合直前には主将の口から、方向性を告げてもらっていた。

「自分たちはチャレンジャーだ。受け身にならず、勝ちにいこう」

この時から、森崎和幸は実質的な、「ピッチ上の監督」となった。彼は否定しても、周囲がそういう目で彼を見るようにったことは事実である。

槙野智章はかつて、この時のことをこんな言葉で述懐した。

「まず、カズさんが自分たち最終ラインの前に入ることで、中盤でボールがとれるようになった。ボール奪取位置がよりゴールに近くなったことで、攻撃のバリエーションが増えたんです。さらにカズさんが声をかけてくれたことによって、チームとしての意志統一がとれた。あの頃はチームとしてのコミュニケーションがとれていなかったから、カズさんを中心に話ができたことで、やりやすくなったんです」

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