森崎和幸物語/第9章「最強の補強ができた。カズと浩司だ」
2009年7月7日、朝6時30分。吉田サッカー公園にはまだ、選手もスタッフも、その人影はなかった。ただ1人の男を除いては。
森崎和幸は、約2ヶ月ぶりに練習場のピッチに立った。数日前、ペトロヴィッチ監督に会った時、「カズの思い通りにやればいい」と言ってくれた。それが病に苦しみ抜き、チームに迷惑をかけた申し訳なさに押し潰されそうになった男の心を軽くしてくれた。
チームトレーニングに参加する前の段階として、まずは1人でやってみたい。そんな希望を指揮官に告げて了承を受けたカズは、ゆっくりとゆっくりと、芝を噛みしめるように、走った。
走れば、何かが変わる。
期待していなかったと言えば、嘘になる。
だが、約30分間のジョギングは、カズの心を解き放ってはくれない。症状は、変わらなかった。走っても、走っても、同じことだった。
折れそうになった。自分を責めた。
だが、もう一つの想いが、男を奮い立たせる。
「続けないと、意味はない」
想うように回復してくれない身体を引きずるように、カズは走った。練習場に向かうのが無理な体調に陥った時でも、必死の思いで起き上がり、近所を走った。
不安は消えない。症状も劇的な展開にはならない。だが、それでもカズは続けた。続けることが希望となった。
「この時期は、復帰に向けてのトレーニングというよりも、リハビリ期間でした」
後に彼は、こう説明してくれた。
「ずっと寝ていたり、起きたい時に起きて、食事をしたい時にする。そんな生活に、規則正しさを植えつけたかった。それが、社会復帰に向けての一つの段階だったんです」
目のぼやけは、かなり軽くなっていた。だが、一方でめまいがカズを何度も襲った。原因不明。不安が増幅。だが、それでも走り続けた。
8月10日、ペトロヴィッチ監督は一つの提案を選手たちに行った。シーズン半ばを過ぎたということもあり、全員で食事をして意気を高めようというのだ。いわゆる「決起集会」である。
カズはこの時、この集まりには出席しないつもりだった。確かに走り続けてはいたが、まだチーム練習に合流していないし、顔も合わせてはいない。もっとコンディションがあがらないと、みんなには会えない。そう想っていたからだ。
だが、それまで「お前の想うようにやってみろ」と言っていたペトロヴィッチ監督が、カズの欠席願いを受け止めてくれない。
「どうしても、出席してほしい。俺は広島に来てから、お前に頼み事をしたことはなかっただろう?今回、初めて俺はお前にお願いする。出席してくれ。今年、ここまで1度も、チーム全員が揃ったことはないんだ」
指揮官であり、カズにとっては「恩人」とも言えるのが、ミハイロ・ペトロヴィッチである。2006年の長期離脱時、彼が監督に就任してカズを認め、病状に理解を示してくれたからこそ、復帰できた。その恩人の頼みなのだ。
ただ、不安だった。
発症し離脱して以来、家族以外とはほとんど会っていない。
自分の症状を、みんなはどう想っているのか。
3ヶ月ぶりに会って、どういう言葉をかわせばいいのか。
みんなに迷惑をかけているのに。
行きたくなかった。
だが、ペトロヴィッチ監督の気持ちは嬉しい。無駄にはできない。それに、自分よりもさらに厳しい症状に見舞われていた弟・浩司が、「カズ、行こう。俺と一緒なら、大丈夫だから」と言ってくれた。背中が押された。
ペトロヴィッチ監督は2人がチームに戻ってくるきっかけに、この集まりを利用したかった。さらなる成長をチームが果たすには、どうしても森崎兄弟の力が必要だと判断していたからだ。
「いきなり、みんなと会うのも恥ずかしいだろう」
集会前、指揮官はカズと浩司をお茶に誘い、そこで談笑した後で会場に向かった。そして、集まった選手たちの前で、監督は笑顔で、こんな言葉を切り出した。
「みんな、今日は最高の選手が補強できたぞ。紹介しよう。カズと浩司だ」
みんな、笑った。2人も、笑った。
カズは楽しかった。心から笑っていた。何も特別なことを言われたりしない。何も、変わっていない。
いつもどおり。普通どおり。
だからこそ、彼は楽しかった。2009年8月10日。忘れられない日となった。
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