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森﨑和幸物語/第12章「カズさんがいてくれるから」

チームは非常に苦しい状況にあるが、一方でカズの引退の日は近づいている。まずはこの「森﨑和幸物語」を最後までやりきりたい。第20章で現在は終わってはいるが、その後の新章も書ききりたいと思います。チームの現状については、また別の項で書いておきたいと思います。では第12章をぜひ、ご覧下さい。


 事態は、思わぬところから変化していく。ネガティブでもポジティブでも、だ。

2010年のカズは、発症から半年たった9月になっても、好転の兆しが見えなかった。練習につきあってくれるトレーナーに対しても、「体調が悪い」とネガティブな言葉ばかりを繰り返した。それでも「カズのペースでいいから」と言ってくれたことを、彼は後に感謝しているのだが、その時は自分のことしか見えなくなっていた。サッカーができるような状況に戻るとは、全く思っていなかった。

ところが、チームはヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を含んだ連戦に入り、カズがメンバーに入れない選手たちと一緒に練習するようになると、少しずつ状態が改善していった。サッカーが楽しいとまでは思えなかったにしても、具体的に「こう変わった」と認識できなかったにしても、カズの気持ちは少しずつ、ポジティブに変わっていった。

そんな変化をペトロヴィッチ監督は見逃さなかった。

9月15日、カズは週末の神戸戦に向けた実戦練習に復帰する。当然、サブ組だと思っていたのに、主力組の証である「赤ビブス」を渡された。とてもじゃないが、自信はなかった。体力面でも、技術的なコンディションの部分でも、

だが、指揮官は言った。

「カズはカズ。できるから」

確かに案じることはなかった。ボールを蹴ることすら久しぶりだったはずなのに、背番号8は普通にトレーニングを全うした。それは決して、簡単なことではない。広島の練習は戦術的な要素が各所にちりばめられ、判断スピードや正確な技術が求められる。それがない選手は、トレーニングの邪魔になるだけだ。だが、カズは誰よりも美しいプレーを見せつけ、ペトロヴィッチ監督を「ベストのカズが戻ってきた」と相好を崩した。

カズも、手応えは感じていた。「俺は、生きている」。そんな感覚も覚えた。だが、まだサッカーができることに「楽しさ」はかんじなかった。「まだ、無理」。とてもじゃないが、前年の清水戦で復帰した時のような自信は湧いてこなかった。

「カズはまだ先発で起用するのは早い。長く離脱していたし、まだ練習試合もやっていないからね。今週の練習でトップチームに入れたのは、できるだけ早くトップの雰囲気を思い出してほしかったからだ。試合にはまだ絡めない」

神戸戦前日、ペトロヴィッチ監督はそう語り、カズをメンバーから外した。当然の処置。だが翌週、鹿島戦に向けた練習でも、カズは主力組に入った。

「そんな……。相手は2位・鹿島。強い相手だ。レベルも高い。今の俺が出ても、チームに貢献できない」

自信がない。ドクターに相談した。すると、こんな言葉が返ってきた。

「そういう状態でいいプレーができれば、すごく自信になる」

なるほど。そういう見方もあるのか。

最悪の状態である自分がどこまでできるのか。確かに、自分を試すことにつながるな。

ドクターの言葉を信じようと思った。

「大丈夫。責任は俺がとるんだから」

ペトロヴィッチ監督の言葉を信じようと思った。

9月24日、鹿島戦前日。

指揮官は、森崎和幸のメンバー入りを明言。カズ自身は「自分がここまでこれたのは、監督や家族の人たちなど、いろんな人が支えてくれたから。感謝の気持ちでいっぱいです。とにかく、明日はやれることをやるだけ」。前年の清水戦前日と違い、言葉は少なかった。

先発かどうかはわからないと監督は語ったが、誰もがカズがスタートから出ることを確信していた。

「カズさんは攻撃の時のスイッチの入れ方がすごいし、左右にいろんな長短のパスを出せる技術も持っている。だからカズさんがボールを持てば、前へのアクションを強くしたいと思っています。ただ(カズさんの)復帰第1戦なので、なにが起きてもおかしくない。そこは周りの選手がカズさんをしっかりサポートして、助けていきたい。カズさんだけに頼るのではなく、周りの選手がしっかり走ってサポートしたいです」

森脇良太は意気込んだ。

「カズさんの一番びっくりするプレーは、人に強いところ。潰し方は半端ない。あそこでボールをとってくれるか、みたいな気持ちでいつもプレーを見ていたので、帰ってきてくれることは非常に心強い。昔は、守備をしないって言われていた?ホントですか?今は逆ですね。攻撃もすごいですけど、守備もヤバい。カズさんがいることで、高いところにポジションとって攻撃もできますから」

この年から広島の1員となった西川周作は、信頼を口にした。

やるんだ。戦うんだ。

背番号8と共に。

そんな気持ちが、チームを一つにまとめた。

翌日、広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)には、大きな横断幕が掲げられた。

「何度でも言うよ!おかえりKAZU」

昨年の「俺たちの誇り」に続いて、カズを泣かせた。

この時、彼は強く決意したという。

「もしこれから先、どんな病気やケガに襲われても、クラブから必要とされる限り、何度でも、どんなことがあっても、俺はピッチに戻ってくる。広島のために、戻ってくる」

この試合、カズは自分と戦った。戦術的にどうこうではなく、サッカー選手として培った本能のまま、動いた。練習量の不足も、コンディション不良も、全てを忘れて、自らの感じるままに。

全くダメで、10分で交代するかもしれない。

試合前、愛妻につぶやいた。

それでも、いいじゃない。

優しい言葉だった。そしてその一言が、本能をさらに研ぎ澄まさせた。

この試合でのレポートを、カズについての記述を抜粋して記載しておこう。

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