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森崎和幸物語/第18章「連覇の緩み」

2014年の夏、森保一監督就任以来最大のピンチを、広島は迎えた。

ワールドカップによる中断を受け、広島は北海道・室蘭でキャンプを敢行。目的は明白で、攻撃力の向上である。13試合を終わってチーム得点王が塩谷司の5点。1トップ2シャドーは相手の徹底したマークにあい、3人(寿人・石原・高萩)の総ゴール数は7点しかない。彼ら個人の不調というよりもチーム全体の攻撃が手詰まり状態にあった。だからこそ、このキャンプでは徹底して攻撃に比重を置いたトレーニングを重ね、連係・連動をシェイプアップすることを目指したのだが、結果としてはうまくいかない。

実際、このキャンプでは紅白戦で若手チームの方が主力組を圧倒するシーンが目立った。全員がシンプルな考え方を貫き、サポートの距離も明確。チームとして1つになって攻撃を仕掛ける若手組に対し、主力の方は個と個をつなぐ線が切れているような感覚を覚えた。青山敏弘がワールドカップに選出されて不在だったこともあったが、それにしてもチームとしての攻撃が不発。目的とは裏腹に、連動性に満ちた攻撃は、どうしても現出できない。

その要因は青山の不在だけでなく、森﨑浩司のオーバートレーニング症候群による離脱も要因だ。シャドーに「気が利く」選手が高萩洋次郎だけになっていたこと。石原直樹が1.5列目のプレーを務めていたが、彼は本来ストライカー。動きが佐藤寿人と重なってしまうこともあり機能性には乏しい。浩司という天才的なトップ下がいるからこそ、戦術的にもバランスが保てていた。

裏にも飛び出せる、パスも出せる。だがそんなことよりも浩司は、周りとのバランス感覚が相当に長けているのだ。寿人はゴールを陥れることがスペシャリティ。高萩は決定的なパスが出せる。彼らのスペシャリティをサポートし、なおかつ自分でも彼らを使い、使われる役をこなせるのは、相当なセンスとスキルが必要だ。そして浩司にはそれがあった。

過去の日本代表でいえば森島寛晃が近い存在であり、もっと低い位置でいえば長谷部誠のようなスタイルが近いが、本当のことをいえば日本には例がない。かつて小野剛元監督は浩司について「他には類をみない、例えようがないスタイル」と語ったことがあるが、実はペトロヴィッチ前監督が創造した広島スタイルは、森崎浩司ありき、と言っていいのだ。

たとえば浦和には、そういう存在がいない。だがそれでも点がとれるのは、個々の得点能力が高い選手が揃っているからだ。それはペトロヴィッチ監督の任期間際にも既に起きていたこと。浦和もコンビネーションは確かに存在するが、広島時代の2008〜2009年(この年は高萩と浩司の中間のようなクオリティを持つ柏木陽介の才能が花を開いていた)のような「組織で崩す」という観点はなくなっている。

疑いなく森崎浩司は偉大な選手だし、プレーの性質において空前絶後のクオリティをもっていた。2014年キャンプ時の若手チームの躍動も、彼の存在抜きにしては語れない。逆にいえば、浩司不在が2014年の広島に大きな影を落としていた。7番に病からの復帰途上というフィジカル的な不安がなければ、森保一監督も悩まなかったはずである。

だが、時間は浩司を待てない。

リーグ再開直後の横浜FM戦、広島は全く攻撃の形をつくれず、かといって横浜FMも拙攻。幸運も手伝った石原直樹のゴールが値千金になるかと思われた。だが、樋口監督(横浜FM)が投入した兵藤慎剛の頑張りが流れを変える。アディショナルタイム、クロスを立て続けに入れられ、クリアが中途半端になったところを拾われて、同点。さらにラストプレーで前線に残っていた栗原勇蔵の頭に当たったボールを拾われ、斎藤が持ち込み、最後は伊藤翔が押し込んだ。時計が90分を刻んだ後での逆転負け。衝撃的な敗戦だ。

続く大宮戦では3点差を一気に追いつかれた。柏戦では5得点したものの、途中までは2−2。どっちに転ぶかは全くわからなかった。甲府には攻撃を完全にはめられ、引き分けに持ち込むのがやっと。そして鹿島戦では1−5の大敗。

この試合後、森保監督は明確に言い切った。

「生き残るための戦い」

そう。事態はそこまで深刻化していた。

その言葉をさらに実感させたのが、鹿島戦後のカズの言葉である。

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