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【コラム・This is football】広島が好きだから集まれる 

日本人は、「プロ戦士の移籍」というあまりに現実的な問題を直視することには慣れていない。

例えばプロ野球。1947年~1975年まで代には「十年選手制度」があり、同一球団に10年在籍した選手は「移籍の自由」かボーナスをえる権利を得ていた。この制度は今のFAと似た形ではあるが、FA制は国内が8年、海外が9年と以前よりも期間が短く、ボーナスを得る権利はない。ただ、逆に言えば、例えば入団時に5年契約を結んでいたとしても、その満了時に選手の方から移籍を希望する権利は(表面上は)なく、球団側が自由契約にしてくれないと自由な移籍はできない。サッカーのような「期限付き移籍」という制度はなく、出場機会を求めての移籍という形態を選手の側が求める例も(表面上は)ほとんどない。サッカーと比べて、遥かに球団の拘束力が強いのだ。それでも、FA権を獲得すれば自由にチームを選択できるが、その権利が選手が長年チームの為にがんばってきたからこそ得られるという事実が、逆にファンからの強い想いの対象となり、感情的なしこりを残しやすいという現実も生み出してしまう。

それでも、野球はまだFAがあるが、相撲はない。何か特別な事情(貴乃花部屋の解散というような)がない限り、最初の部屋が最後の部屋だ。テニスやフィギュアスケートのように選手がコーチを選択する自由はない。ボクシングについても、ジムを替えるというのは本当に難しいと聞いている。

日本人の帰属意識は確かに高い。だが、欧米人はどうか。彼らは日本人と比較して、自分たちの故郷や組織、家族に対する忠誠心は低いのか。経験則として、そういう感覚はない。家族や故郷に対しては間違いなくロイヤリティーは存在するし、組織に対してもイニエスタのバルセロナに対する気持ちなどを考えてみれば、日本人とは違う形かもしれないが、忠誠心は強い。

ただ、彼らは自分自身に対しても忠実である。仕事がうまくいかないとなれば、違う環境を求める。無名の選手が裁判を起こし、結果として選手の流通自由化を生み出した「ボスマン判決」は、その背景には様々な社会的な事情があるとはいえ、訴えを起こしたジャン・マルク・ボスマンの当初の希望は、ベルギー2部のクラブとの契約が終わったので、今度はフランス2部のクラブに移籍したい。ただ、それだけだった。だがそれが、EU(ヨーロッパ連合)の成立に伴い、EU圏内における労働市場の自由化と移籍の自由につながった。自分自身に対して忠実であろうとした結果、時代を大きく変える事態まで引き起こしたのだ。

もう一つ、欧州には特に「クラス」、つまり階級という考え方が根強い。それはサッカーの世界にも息づいている。ビッグクラブとそれ以外のクラブとは違っていて、自分たちがビッグクラブになれるとは想っていない。自分たちは分相応の世界で生きていくのであって、ビッグクラブに選手が巣立つことはむしろ、誇らしい。クラスが違うのだ。だが、クラスが同じだと考えているクラブへの移籍については強烈な反応が出てくる。かつてパルセロナ→レアル・マドリードという「禁断の移籍」を敢行したフィーゴに対して豚の皮が投げつけられるという事態も起きた。「ロイヤリティー」という感覚は、日本とは感情の多寡はあるものの、時に大きな爆発を起こす。

今季、J1では多くの選手が移籍を選択し、サポーターの一喜一憂がネットなどでも拡散されている。広島も例外ではない。報道に揺さぶられ、自分たちのアイデンティティーを見失ってしまいそうなサポーターも。気持ちはすごくわかる。かつて高木琢也や前川和也、久保竜彦や駒野友一をはじめ、たくさんの「ウチの選手」を見送ってきた。しかし、選手たちの人生を考えた時、全員の全てを一つのクラブが抱え込むことはできない。「いい別れ」を選択しないといけない場合もある。「彼は我々に必要な選手」とクラブやサポーターが言い、またその選手もクラブに愛着を感じていたとしても、評価が噛み合わなければ、あるいは他のクラブからもっと高い評価をもらえれば、選手はそちらを選択するだろう。もちろん、選手が残留を望んでもクラブから別の道に進むことを示唆される場合もある。経済的なものを求めないといけない事情もある。

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